§6 ケインズ乗数効果理論の誤りに関する証明の流れ
工博 林有一郎
ケインズ投資乗数効果理論に基づくケインズ有効需要原理(有効需要の原理)は数学的に誤りである。
ケインズ乗数効果は存在しない。
平成15年12月初稿発表
ここにある内容は、現代経済学の中で、とても重要ではあるが(各国の金融破たん問題)、未だ解答が得られていない問題である。考察を深め、書き加えていくうちに、以前に書いた内容の中に修正すべき点が見えてきた。それで、論述の中に矛盾がある場合は、後述の方を正としてもらいたい。最後には、全て書き直すつもりである。
まえがき
『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、1935年 - 1936年に、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)によって著された。その時以来、ケインズ乗数効果理論に基づいた有効需要原理(有効需要の原理)理論は現代経済学の基盤の一つを確立した。70年の間、その理論は、教科書においてのみならず、実際経済においても主要なテーマであった。現代の国家経済政策は、その理論に大きな影響を受けている。少数の異議を除けば、どんな本もウエブサイトも、ケインズ乗数効果理論に結びついた有効需要の原理に基づいて記述されている。
ケインズ投資乗数効果理論への異議も、数学的な、又会計学上の証明を欠いたものであるか*、投資乗数の存在を認めた上で、その投資乗数効果は小さいとしている。
* 平成21年7月11日、オーストラリア在住のBrian Chapman博士より突然e-mailを頂戴した。それによると同氏も長年に渡ってケインズ乗数効果式の誤りを研究されており、前夜に筆者のwebsiteを見つけたとのことであった。次のweb-siteを参照されたい。ケインズ乗数効果式は誤りであるという結論は筆者と同じである。同論文は、数学的に、且つ、筆者とは全く独立に研究されたものである。
http://www.qedinteractive.com.au/DissEcon.html
英語コンテンツ、Chapter1、§4中の[Question-18]を見て欲しい。目下の検討すべき方程式は、ほんの2行(下記)である。
Y2 = C2 + I2 , ΔY2 = ΔC2 + ΔI2, ΔC2 = ΔC1 = aK ΔY1, ΔY2 =ΔY1, ΔY1 - aK ΔY1 = ΔI2, ΔY1 = ΔI2 / (1 - aK). If a K =0.6, we have ΔY1= 2.5ΔI2.
Fig.3-3は美しい。上記の式は、ΔI2→ΔI2+ ΔNX2 + ΔG2と置き換えた式を含めて、確かに恒等式だ。どこにも誤りは見つからない。 70年の間、誰もが乗数効果理論の真実性を学問的に(数学的に)認めてきた。例え、誰かが、不況において、ケインズ乗数効果を疑っても、誰もその理論を数学的に反証し、それに代わる新しい理論を提示することはできなかった。
筆者は、ケインズ投資乗数1/(1-MPC)の或る定数としての存在は認めても、それはケインズの意図した投資乗数効果を意味するものではない、即ち投資乗数効果は数学的に存在しないことを主張する。筆者でさえ、自分の主張の真実性を最初は疑った。ここに、筆者は自分に対する質問とそれに対する自分への解答を示したいと思う(英文§4の序文)。
Fig.3-3 ケインジアン乗数効果図
否定証明の始まり
(1) 一方において、記号ΔY2は式(3-37)に示されるように、当該年度内のGDPの各成分の増分の和を表すために使用される。他方において、記号ΔY1は、Y1座標軸上において、例えばΔG2のみと等価な値を示すために使用される。特記のない限り、最初の定義を採用する。記号の簡単化のために、Δ政府消費=0であるものとする。
(2) 読者は、総付加価値(GVA)の一部分は無価値の資源に付加された人間の経済活動価値であることを知らねばならない。企業は人間という語句に含まれるものとする。生産と所得稼得と支出を含む全ての経済活動は、GVAの部分の貯蓄を含む経済的な働きとして表現される。周知のように、GVAは種々の経済指標から測定される。例えば、ΔC2(消費財)は、Y2(最終生産財)という経済面での経済量ΔY2の一部分である。消費という名は、GVAの中の成分が消費という名の下に集められたものである。
(3) 読者は、式(3-37)右辺の各成分は、ある期間内で実現された(又は、現在と、未来の或る日との間の期間内に実現されるであろう)最終生産物であることを認めなければならない。その式の中において、ある生産物は既に生産され、別の生産物は、まだ生産されていなく、未来の何時の日かに生産されるであろうというようなことは許されない。もし、読者が当該期間の期末日を未来の或る日に延長したいのであれば、その式内の全ての各成分データをその未来日に合わせなければならない。
(4) 読者は,経済理論において、式ΔY1 (所得) = ΔY2 (最終生産物の売上) = ΔY3 (中間生産物購入を除いた原価と利益)が1年間内でなりたつことを認めなければならない。更に、ΔY1=Σ成分1、ΔY2=Σ成分2、ΔY3=Σ成分3と分解できるとき、例えば、ΔY1=ΔY2がなりたつときは、Σ成分1=Σ成分2がなりたつこと、及びそのとき、どちらかの辺一方だけから成分の一部を減じてはならないことを認めなければならない。
(5) 読者は,経済指標ΔY1、ΔY2、ΔY3の経済的特長を認めたものとする。それらの経済指標は、各々の成分を持っている。例えば、ΔY3の成分は雇用者報酬、営業余剰・・等、ΔY2 の成分はセクター1産業、セクター2産業・・・の最終生産物等である。読者は、もし理論的手法が得られるものとしたら、或る経済面での経済量(例えば、ΔY2 )の或る成分(例えば、ΔC2)は、別の経済面の成分(例えば、雇用者報酬、営業余剰・・等)の組成で概念的に表し得るということを認めなければならない。この概念は、産業連関表で採用されている概念である。なお、英文、Part2,Chapter2、§1 において、 筆者により新しく、[ΔY2(GDP)の成分ベクトル]=[変換マトリックス][ΔY3(GVA)の成分ベクトル]の関係が誘導提示されている。従って、本来、産業連関表の中に、乗数効果概念(所得増による第2次波及効果)は全く含まれていない。
(6) 最終生産物、所得、支出は、1年以内に同時に実現される。もし政府が追加的支出ΔG1( = ΔG2 )を実施するものとすれば、ΔG1の資金は、移転や借り入れ経由で、その年間内の所得から得られたものである。ΔG3(雇用者報酬などの生産面での原価や企業利益)の受領者と税金納入者、資金提供者は必ずしも同一人でないことに注意して欲しい。
(7) Assumption5 ( ΔNX2 + ΔG2 = 0、又はΔI2=ΔNX2=0、英文§3)の採用を仮に許すものとするならば、ケインジアンクロスでは(実際は何時の時点でも成り立つ)、ΔY2 = ΔG2 +ΔC2が成立することを読者は認めるであろう。読者はケインズ乗数効果として知られている所得ΔY1 =ΔG2/(1 - aK)を既に知っている。ΔG2/(1 - aK)=(ΔY2 - ΔC2)/(1 - ΔC2/ΔY2) = ΔY2=ΔG2+ΔC2である。
ケインス乗数効果式は、ΔG2を実施したら、自然に(ΔG2に誘発されて何時の日か)、ケインズ乗数倍の所得が得られると理解されている。しかしながら、上記式は、結局のところ、政府は、所得ΔY1=ΔG2/(1 - aK)を実現するためには、生産、及び生産物の分解としての支出ΔY2=ΔG2+ΔC2をΔY1とΔY2を測定する期間内に確実に実現しなければならないことを示している。
実は、Fig.3-3は、ΔG2の実施と同時に、ΔC2が既に発生しているということを示しているのだという事実を我々全員が長い間見落としていた(*)。Fig.3-3は、正しくは同図の中で、ΔY2=ΔG2をΔ Y2=ΔG2+ΔC2と置いて、Fig.4-6のように修正されなければならない。 [*これは、均衡理論解析による必然の結果であることが後に示される。]
Fig.4-6 修正されたケインジアンズ乗数効果図
しかしながら、このことは、ΔG2だけから自然に(誘発的に)ΔY1 (=ΔG2+ΔC2)を創出しようとする政府の目的ではない。この点から、Fig.4-6は、Assumption5 の下で、ΔG2とΔC2の両者の支出に対して、数学的には正しいが、ΔG2のみに対してはFig.4-6も誤りである。読者は、同図において、どうしてもΔC2=0とすることができないことを確認されたい。従って、Fig.3-3は二重に誤っている。
(8) 誰かはこう言うかもしれない。「支出ΔG2のみから、直ちに、所得ΔY1=ΔG2 +ΔC2を得ることができないことぐらい知っている。我々は、消費性向、あるいはΔG2から誘発された消費意欲に基づいて、ΔC2を未来の何時の日かに得ることを期待しているのだ」。この主張は誤っている。将来に期待する消費ΔC2の誘発は、ΔG2が実施された年の国民経済計算会計に記載されているとおりに既に終わっている。そして、その年に、ΔG2は既に大いに経済効果を得ているのである。
アウトプット(最終生産物)ΔG2とそれに対応するインプット(GVA)との関係は、Fig.3-14に示される。借入に基づいたΔG2は、それが無かったら、本来GVAの中で民間投資の減少により減少すべき企業利益の一部になったのかもしれないし、雇用者報酬の一部になったのかもしれない。
Fig.3-14 産業連関表図
(9) 読者は、Fig.3-3に示されるΔG2-Y1問題と、英文、§4、[Question-18]中に示されるΔI2-Y1問題とは、互いに少しばかり違った問題であるということを知るべきである。筆者も、最初はその違いを厳密に区別し得なかった。前者では、ΔI2= ΔNX2= 0が仮定されており、後者ではΔG2 =ΔNX2 = 0、又はΔI2の中にΔG2とΔNX2が含まれるということが仮定されている。
(10) 読者は今までの説明を了解されたであろうか。実は、今までの説明には、大きな誤りがあるのである。要するに、ケインズ乗数効果を示すFig.3-3とFig.4-6は、ΔC2= 0とすることができないからという理由を除いても、全くの誤りなのである。これら二つの図は、式(31)に対して、Assumption5(ΔI2=ΔNX2= 0)という仮定を設けて作られたものである。それで、ΔY1=ΔG2/(1-aK)が得られた。実は、Assumption5を設けることはできない。何故なら、ΔY1=ΔG2/(1-aK - aI -aNX)であり、aI(限界民間投資性向)は大きな値であり、 aI = 0と仮定することはできないのである(英文、§4、[Answer-24]参照)。aI を考慮したら、ケインズ乗数は10倍以上にもなるであろう。
このことについて、もう少し説明を加えよう。Assumption5(ΔI2=ΔNX2= 0)が存在しない下での解析をケース1としよう。Assumption5の下での解析をケース2としよう。限界消費性向は、aK=ΔC2/ΔY2 で定義される。ケース1の下では、もし、aK=0.6であるとすれば、(ΔI2 +ΔG2+ ΔNX2)/ΔY2 =0.4が成り立っている。
ケース2の下では、同じ条件で、ΔG2/ΔY2 =0.4が成り立つことになる。これは、現実の経済の下ではありえない。ΔG2/ΔY2の実際の値はG2/Y2の統計値に近いであろう。仮にΔG2/ΔY2=0.1とする。そうであれば、ΔG2とΔY2を含む図では、必ず、ΔG2はΔY2の1/10近くの大きさ(ΔY2=10ΔG2)で描かれていなければならない。
Fig.4-6を見て見よう。ケース2の下で、ΔY2とΔG2の比は1対0.4で表されている。これは、ΔI2とΔNX2 の存在を無視したために起こったものであり、Fig.4-6は全くの誤りである。この原因は、ΔY1の意味するところは変えていない(ΔY1は式(3-37)右辺の全部)のに、式(3-37)の右辺からだけΔI2 +ΔNX2を消去したためである(ΔC2 + ΔG2 は式(3-37)右辺の一部分)。ここで、ΔY2≠ΔY1がおき、ケインジアンクロス条件が満足されていないことになる。従って、ケインズ乗数効果理論の大きな誤りの一つは、Assumption5(ΔI2=ΔNX2 = 0)を設けたことにあったことになる。[この段落は、後で均衡理論手法の誤りで、詳しく論じる。]
最初から、Y1 =C2 + G2 と定義していたら、この左辺と右辺間の矛盾が生じていなかったことに気が付かれたであろうか。但し、民間投資は存在しないという非現実的な理論を作ることになるが。複数の要素変数xi (i=1,2, )とそれらの全体(これも要素変数とみなす)からなる或るシステムにおいて、或る特別な要素xjのみが他の要素変数の微小変化の影響を受けないという仮定を設ける場合を考えよう。例えば、投資だけが利子率の関数であるというような場合である。この問題で、利子率に関係しない要素の解析を微分を伴って行うときには、要素としての投資と全体の中の投資の両方を同時に除かねばならないことは容易に理解できるであろう。
損益分岐点理論から、賃金には生産量の変化に比例して変化する賃金と固定費的な賃金が存在することを、今では誰でも知っている。例えば、生産量と賃金を含む原価と利益に関する解析を行うとき、この解析に対し、微分解析を行うと、特別に注意しないと、固定費的な賃金が抜け落ちてしまうのである。これらが、微分解析手法の恐ろしい側面である。このような誤った取り扱いが他の経済理論解析でもなされていないか、再吟味の必要がある。
(11) a(t)を時間tの非線形関数とし、aK(t) = ΔC2(t) / ΔY1(t) , aI(t) = ΔI2(t) / ΔY1(t), aNX(t) = ΔNX2(t) / ΔY1(t), aG(t) = ΔG2(t) / ΔY1(t)と表す。aK(t), aI (t)などは各財貨の限界支出性向である。このとき、任意のtにおいて、aK(t) = ΔC2(t)/ Δt / ( ΔY1(t)/ Δt )であることから、次式が成り立っている。
再び式(3-R7)の両辺にΔY(t) (= ΔY1(t) = ΔY2(t))を掛ければ、次式が得られる。
式(3-R7-1)から、例えば、次式が得られる。
式(3-R7-2)は、次の二つの式の意味を表している。
即ち、式(3-R7)や、式(3-R7-4)と式(3-R7-5)の組み合わせは、全体ΔY(t)と部分ΔC(t)、 ΔI(t)、 ΔNX(t)、 ΔG(t)との間の割合比率を表している。そうであるが故に、式(3-R7-2)は恒等式なのである。
更に、記号の簡単のために、間接税=0と仮定するとき、ΔGVA は、ΔGVA = Δ D+ Δπ+ ΔW +ΔT - ΔT = Δπ + ΔW、ここに、π=営業余剰、W=雇用者報酬、D=固定資本減耗(=定数)、T=直接税を含む移転と表される。GVAとGDPの間の関係から、記号(t)を省略して、次式が得られる。
前記(10)に述べたように、何故、仮定ΔI2=ΔNX2=0を設けることができないのか?その理由は、 Y2, C2, I2, G2, NX2からなる5個の経済量間において、必ず式(3-37)がなりたたねばならないからである。それは、同じく、式(3-37)が必ずなりたたねばならぬことと同じである。この意味は、各財貨は次のように生成されるべきであるということである。
(a) 式(3-37)又は式(3-R7)が成り立つように、各財貨は生成される。
(b) 各財貨は、本来、互いに独立でありながら、互いに観察しあい、互いに影響を受けあいながら、半ば互いに従属的、独立的に生成される。
c) 式(3-R7-6)において、次の制約条件を満足するように、各財貨は生成される。
(d) 「式(3-R7)の左辺各項は常に定数値である」ということは必ずしもない。
(e) 3経済指標間に関する方程式の中で、各項は下記(19)に示す損益分岐点型インプット・アウトプット図を満足するように人間の意志が反映されて、生成される。
従って、次のようなことが、理論上、当然に起きる。例えば、ΔG2を幾ら増やしても、ΔY2は一向に増えない。ΔG2をほんの少し増やすことによって、他の財貨生産が大幅に増加する 。
これが人間の経済活動の基本原理である。
(12) 次の仮定を設ける。
仮定7:ΔG2 = ΔNX2 = 0
仮定7の下では、Fig.4-6において、ΔG2の代わりにΔI2を置き換えた図が得られる。この場合には、ΔG2 = 0であるため、追加的政府支出の問題自体がなりたたない。
(13) 上述の仮定7に似ているが、次の仮定を設ける。
仮定8:ΔG2+ΔNX2は、ΔITの中に含まれる。
仮定8の下では、ΔY2=ΔC2+ΔIT が得られる。この場合のケインズ乗数効果図は、Fig.4-6でΔG2をΔITで置き換えた図を「ケインズ原著図」となづけ,Fig. 5-5に示す。
Fig. 5-5 ケインズ原著図
この経済モデルは,実際に図としては表わされてはいないが、ケインズが原著で採用したものである。但し、ケインズは、ΔITを供給したら、期間を定めず、何時の日か、ΔC2がΔITに見合って自然に供給されるものとしている。この図では、ケインジアンクロス条件(ΔY2=ΔY1)は満足されている。MPCは存在するのだから、この図を経済現象の解析に使っておかしなことが起きるだろうか。
詳しくは英文、5.3、5.4、§5に説明しているが、結論的に言えば、時間の変化を伴う経済解析にケインズ原著図を使うことはできない。ケインズ原著図モデルは、C2とITの2独立変数、Y2の1従属変数からなる2自由度系システムである。ケインズがMPCの存在の仮定を設けた瞬間に、システムに1個の自由度拘束条件が加えられる。その結果、システムは1自由度系システムとなる。
ケインズは乗数効果ΔY1=ΔIT/(1-MPC)を主張している。そうであれば、インプット・アウトプットの関係から、ΔITは、1自由度系システムに残った1個の独立変数であらねばならない。ΔITは時間に無関係な変数として、ΔY2の始点で与えられなければならない。ΔC2はΔITに従属する。従って、ΔC2とΔITの両者は時間経過に関係しないから、ケインズ乗数効果図が示す経済は、時間経過に関係しない経済である。この関係をFig.5-4、に示す。但し、Δy=ΔIT、Δx=ΔC2、Δz=ΔY2である。
Fig.5-4
ついでながら、我々は残った1変数に対し、ΔC2を選ぶこともできる。このときは、ΔY1=ΔC2/MPCである。同じように、ΔY1はΔC2に従属し、両者とも時間の経過に関係しない。ΔY1(=ΔY2)とΔC2とΔITからなるシステムが1自由度系であるとは、これらの各変数が時間の関数であってもよいが、結局はこれらの動きはシステムの全体であるΔY11個の動きで唯一に決まり、ΔC2とΔITはΔY2の中の一定比率の成分であるということである。
(14) ケインズ原著図理論においては、全体ΔY2、即ちΔC2とΔITは時間変化に関係せず、コントロール不能な変動する人間の意志決定に関係する。さらに、ΔITは常にΔY2の最終供給の前に与えられなければならない。つまり、ケインズ原著図が示す経済とは、C2とITが時間の変化に関係しない経済である。この社会はエルゴード性が仮定されている社会である。この社会は、GDPがほとんど変化しなかったという意味で、産業革命以前の社会に近い。
この経済モデルは、財貨や所得の現在の分配の問題を解析するには適当かもしれないが、資本主義国における非定常経済状態における経済の動きを解析するには向いていない。この視点は、資本主義国における非定常経済状況における大問題、なかんずく、失業問題を解析する場合には特に重要である。
(15) ケインズ原著図理論における大きな欠陥は、ΔITの供給を意図した瞬間に、MPC条件が破れるということである。この問題を解決するためには、時間に関係しないΔITの供給に合わせて、同時に、瞬時に、ΔIT・MPC/(1-MPC)=ΔC2を供給しなければならない。
(16) ケインズ原著図理論における次の大きな欠陥は、我々が失業問題を解決するために、ΔG2を供給する瞬間に生じる。このことをFig 5-6を使って説明しよう。 ΔIT = ΔI2+ΔNX2+ΔG2とする。本解析においてΔG2を1自由度の該当する1変数としてΔG2を選択するとき、同時に残りのΔI2とΔNX2の役割を考慮し、それを解析の中に取り入れなければならい。
Fig 5-6
ケインズ原著図理論により、ケインズ乗数効果式ΔY1=(ΔI2+ΔNX2+ΔG2)/(1 - MPC)が導かれる。MPCはΔITに対して定義されている。従って、ΔG2の供給に伴って、ΔC2だけでなく、ΔI2とΔNX2も、同時に、瞬時に供給されなければならない。 このことは、困った状況を引き起こす。ケインズ原著図理論では、失業問題解析において、ΔI2とΔNX2はΔG2に伴って瞬時に供給されない(民間投資需要が減少する)からこそ、乗数効果理論を使うからである。
ケインズ原著図理論では、ΔG2の供給に伴って、同時に、瞬時に、ΔC2、ΔI2、ΔNX2の供給が要請される。ケインズ原著図理論がこのようなものであっても、この理論の動的経済問題解析における有効性を主張できるだろうか。もし主張できないとすれば、ケインズ原著図理論は少なくとも、動的な経済問題解析に対してはその効力を失うであろう。
(17) 上述のように、経済は時間に関し独立な多自由度系であるべきなのに、実際は、Fig. 3-11に示すように、実際経済において、MPCは統計的に観測される。なお、本図において、ak = MPCである。なお、消費線は2種類存在するとされている。Keynes型は、線形線で垂直軸に切片を持つ。Kuznets型は、線形線で原点を通る。実際は原点を通る非線形線であろう。何故、実際経済においてMPCが観測されるのだろうか。
Fig. 3-11 Corrected Keynesian multiplier effect model
筆者はこう考える。MPCは、定常経済の中の多くの自由度を持つ経済システムの中から、結果的な消費の動きだけを見ることによって得られたものである。企業利益を保持しようとする個々の企業の努力と社会の消費心理に基づく限界消費性向がある。各々の消費者は現在の自分の所得を観察し、自分の将来の生活を予想する。企業家は現在の消費者の行動を観察し、将来の企業の姿を予想する。全員が現在の景気の状況を観察し自己の行動を日々決断している。
消費財と投資財の動きは右脚と左脚の動きに似ている。もし、行く手が明るく、かつ安全であれば、右脚と左脚の動き方は一定のように見えるだろう。この場合の歩行は、右脚と左脚の動きがあたかも1対で、両脚の動きが1自由度系のように見えるだろう。行く手が暗く、かつ安全でなければ、右脚を踏み出しても、左脚は止まって、後ろに下がることもあるだろう。もし、ボクシングの最中であれば、右脚と左脚は, 自由に、i独立に動くだろう。後者の二つの例の場合、両脚の動きは2自由度系で動く。
このように、消費財と投資財は、安定した定常経済の中ではMPCが一定に保持され、1自由度系のように動くのであろう。そして、経済の動きが時間的に不安定な状態になると、各財貨は独立に自由意志で動き、独立性という2財貨本来の性質が見えてくるのであろう。
(18) 投資に対するケインズ乗数、1/(1-MPC)は存在しないのだから、もちろん、租税乗数、MPC/(1-MPC)も存在しない。このことは、税は全体所得の中での所得者間での部分的な移転であるのだから当然である。なお、この項の詳細については、英文、 Chapter1、5.1を参照されたい。
(19) 実は、以下は数学的には誤りではないが、ケインズ乗数効果理論には、もっと根本的に重大な欠陥がある。前節で述べた通り、国民経済計算によって経済問題を解析するときには、次の2種類の図化方法がある。一つは時系列型インプット・アウトプット図であり、もう一つは損益分岐点型インプット・アウトプット図である。
Fig.5-2は、時系列型(又は、割合型)インプット・アウトプット図を示す。本図の水平軸は時系列としての実現された累加生産高(アウトプット)を示す。鉛直軸はその生産高に対応する実現されたGVA(インプット)の成分を示す。時系列量は、1年以内の月次における累加生産高でも、多年に渡る年次毎の生産高であってもよい。本図の特徴は、次のようである。
(1) 他の所得の幅の場合と同じく、営業余剰(図中のProfit)の幅は、全て全体Y1に対するその部分の割合を示す。
(2) 営業余剰は、生産高Y2の1変数関数であるので、もし経済が定常状態にあるならば、与えられた営業余剰に対して、生産高Y2は一意に定まる。
(3) GVA増分ΔYは、ΔY =Δπ +ΔW +ΔD、ここに、π=営業余剰、W=雇用者報酬、D=固定資本減耗、で表される。Dは前期までの償却資産の量で決まるから、ΔD=0である。従って、この経済モデルで経済解析理論を作ると、πはYと正比例しているので、解析式の中に、ΔYとΔWに関する正比例関係式だけが現れる。
Wは、実際は、W = WV + WF、ここに、WV=Yに比例する成分、WF=Yに比例しない成分、と表され、Wは、2変数関数である。景気変動がある場合には、WFは、定数ではなく、経営者が景気状況に応じて自己の意思で決める変数である。即ち、経営者は、悪状況下にあっても、π/Yを一定に保つように、あるいは、π>0を維持するように、WVとWFの両方を変化させる。景気の変動を対象とする経済解析に当たっては、決してΔWF= 0としてはならない。そして、失業解析問題とは、まさしく、ΔWFに対する問題なのである。
Fig.5-2 時系列型図
Fig.5-2 は、損益分岐点型インプット・アウトプット図である。本図の水平軸と鉛直軸では、端点のみが実現された生産高(アウトプット)と実現された所得(インプット)の成分を示す。本図の特徴は、次のようである。
(1) 原点と端点とを結ぶ45度線の中間位置上のどの点も、想像上の座標点(想像上の最終生産高、想像上の最終所得)を示す。
(2) 営業余剰(図中のProfit)は、GVA中の固定費と変動費比率と、生産高の3変数関数である。もし、在庫を考慮すれば、第1部、§2 全部原価計算・会計システム(特許明細書)に述べられた損益分岐線が存在する。
本図は、入力と出力の関係から生じる損益分岐点を含み、現実の企業経営では、経営者が本図が与える情報に基づいて、インプット、アウトプットを調整することによって、企業経営がなされている。
なお、損益分岐点図の形は会計期間内で常にゆれ動いている、何故なら、固定費とみなした費用も、実際は期首時と期末時では、経営者(対賃金)や政府(対減価償却費)の意志により、常に変化しているからである。
Fig5-2 損益分岐点型図
二つの図において、Y2は同一の位置にあるので、両図は混同され易いが、全く別の概念を表すのである。Fig.3-3に示すケインズ乗数効果図は、時系列型の図である。この型の図から、ΔGに関してどのような情報を得ることができるだろうか。ΔG(補正予算における追加予算)/G(当初予算又は最終予算)に関する時系列平均割合が求められるだけであろう。もちろん、その場合のΔGに見合う所得の変化は、ΔGそのものに等しい。但し、ΔGは所得者間におけるGVAの移転の結果、生産されているものなので、数学的には、全体所得の変化はない。
国民経済計算は企業損益計算書の統合であるから、当然ながら、国民経済は、個々の企業の損益計算書の統合された動きを示す。それがFig.3-13である。利益=0の点とは、K点唯1点である。FVとFFの両方が独立変数である。これが現実の経済の姿である。現実の経済にワルラス均衡もケインズ乗数効果も存在することはできない。
Fig.3-13 損益分岐点型Δ G-Y 図
Fig.3-13中の増分の部分は、見かけは少し違っているが、内容はFig.3-14と同一である。
Fig.3-14 損益分岐点型Δ G-Y 図
この部分(19)の記述内容は、新古典派(ケインズ理論でも同じく使用)の第1公準「実質賃金は労働の限界生産力に等しい」を導く前提となる利益の極大条件式、Δπ = ΔY2 - (ΔW(wages) + ΔD( depreciation) ) = 0の正否に関係があるような気がする。その理由は、(1)原価は、賃金を含めて、固定費(生産量に比例しないで変化する原価、一定値という意味ではなく、人間の意志で決まる変数の1種類)と変動費(生産量に比例して変化する原価)とからなり、(2)Δπ=0とは、π=定数(売上Yの大小に関わらず利益は一定。)を意味し、利益の極大条件ではないということからである。
固定資本減耗がほぼ一定とみなせる会計期間内では、式(3-40)により、Δπ= (1 - a V) ΔY - ΔWF。ここに、a V = WV / Y(変動費賃金比率)、ΔWF=固定費賃金増分 、ΔY = ΔWV + ΔWF。ここで、Δπ/ΔY=0とは、π=const.、賃金線が45度線(GDP線)と平行であることを意味する。 Δπ = 0の条件は、利益極大の条件ではなくて、Y = W + π(const.) + D(const.)、即ちΔY =ΔWと仮定することを意味する。このようなことは、企業の実際経営を表す損益分岐点図からは、ありえない。何時の時代でも、経営者は、人的能力向上とΔWFの増減を通じて最大利益(率)又は最小損失額の実現を図ろうとする。生産に、利益確保の条件はあっても、利益極大の条件は存在しないと思う。それで、そもそも、第1公準の正否自体が、筆者には疑われる。ということで、この項の内容は未だ考察中であり、筆者の見解が変わることもあるかもしれないことをお断りしておく。
[この段落の論述未確定。ミクロ経済学において、生産均衡においては、生産関数(生産要素=独立変数。生産数量=従属変数)に対して、規模に関して収穫逓減の性質を仮定する。あるいは、利益が生産要素変数の変化に対して極値を持つものと仮定し、その条件の下で企業は生産関数を定めるものとする。そしてこの仮定に反することは、起こりえないないものとする。現在、経営者において、利益が損益分岐点図に従っていることを疑う者はいないし、利益最大となるような生産要素変数を定めて、そこに規模を留めておくような者も存在しないだろう。要するに、筆者の主張は、生産において、利益極大原理は存在しない、あるいは、Δπ = 0を特定する生産要素や財貨数量の分配は存在しないということである。上記の論述には、π(const.) を使っており、多分筆者の論理にはおかしい可能性があるが、従来理論における生産関数の形の仮定にもおかしい可能性があり、経済解析上の本質的な問題が隠されている。何れ考察の上、論述する。2007/9/19]
なお、上述にも関わらず、労働者と企業の双方がそれで良しと認める賃金水準で、失業が発生する状況が存在する(企業における労働力量は、労働者と企業間の労働力だけの需給関係だけでは決まらず、生産物の供給量と有効需要との交点で決まる。)という、ケインズの結果的な推論は、筆者も全くその通りであると思う。
このことは、Fig5-2に示す損益分岐点型Δ G-Y 図において、鉛直軸の原価に含まれる労働力量は、横軸の最終生産物需要量を満たすように決められるということを意味している。この推論は、Y = W + π(const.)+ D(const.)という誤った仮定を採用しても、それを補って、なお正しい。今、本節で始めて示された同図を見れば当たり前の推論であるが、ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を著した当時には、損益分岐点型様式で表される利益図の概念が多分まだ経済学の分野にまでは広まっていなかった(多分今でも)ことを考えれば*、驚くべき推論である。
*高橋 史安(1982)「損益分岐点分析の起源について」『商学集志』、日本大学商学研究会、51(4). [1982.02]、107−137 ページ; 本文献によると、1930年代初期では、損益分岐点図が会計分野においても、まして他の分野には、広まっていなかった可能性が高い。
しかしながら、最近は、ケインズの頃とは失業の発生原因がすっかり変わってしまったということを指摘しておきたい。例えば、一昔前の日本を前にする米国、中国を前にする現在の日本、これからの東欧諸国を前にする西側ヨーロッパ諸国などにおいては、単純製造業労働に対する労働力として、国内人を考えないということになってきており、新しい失業の原因となってきている。
[この項(19)の記述は、後日訂正するかもしれない。但し、ケインズ乗数効果式の誤りの結論には影響しない。2007/2/5]
(20) (1)初期投資ΔIを実施した場合、その分だけ需要ΔIが増加し、その結果、生産ΔIが増加する。生産ΔIは、GVAに従って所得ΔIに変わる。(2)所得ΔIは今度は、消費需要MPC · ΔIを高める。その消費需要は、生産のMPC · ΔIを生じさせる。その生産は、所得の増加MPC · ΔIに変わる。(3)この所得の増加MPC · ΔIは、同様にして、MPC2· ΔIの消費と生産と所得を高める。(4)かくして、このフィードバック過程が何時までも繰り返される結果、乗数効果が生じ、最初のΔI投資によって、所得増加 ΔY= ΔI + MPC · ΔI + MPC2· ΔI + · · · = ΔI/(1 - MPC)を得る。
各段階で、消費需要の増加=消費財の生産の増加=生産による所得の増加が成立しており、どこにも矛盾がないように見える。この論理が乗数効果理論を神格化した論理である。この論理は数学的に誤りであると説明することが大変難しい。そういう訳で、この項の説明は長くなる。
実は、この論理はケインズ以前の人々は誰も考えなかった論理である。そして、現在でも、経済学を知らない人は誰も考えない。普通の人の経済実感は次のようである。設備も含め、人間や設備その他の何かが、働いたら働いた分だけの財貨(棚卸資産)が作られる。それらの財貨が売られ(実際は、ある期間内の売上量が定まって)て始めて利益が分かる。要するに、通常、働かずして、売られずして、自動的に財貨も所得も生まれない。現実の経済は、足し算、引き算で成り立っている。そしてこの感覚の方が正しい。
周知のように、乗数効果の論理は、次のような関数のTaylor級数展開(等比数列)を利用している。
級数(等比数列)の論理は、Fig.6-1に示すように、固定費ΔIからなる初期投資が変動費からなる消費ΔCCRを自動的に生み出せるかという問題に帰着する。この論理は、本質的には、初期消費ΔCCRを与えたとき、自動的にΔYCR = ΔCCR / MPCが得られるかという問題と同じである。
Fig.6-1
最初に、政府による投資支出ΔG2による乗数効果式ΔY1=ΔG2/(1-MPC)が成り立つかについて言及する。(10)で説明した通り、本式においてはケインジアンクロス条件が成り立っていないので、本式は数学的に誤りである。従って、政府による本式に基づく失業対策は数学的に無意味であるので、以降、本式は考察の対象としない。
問題は、Fig.5-5、ケインズ原著図に現れる式ΔY1=ΔIT/(1-MPC)である。ΔITには民間投資が大いに関係する。
Fig.5-5
本式は、ΔY1=ΔY2であるので、ΔY2 = ΔIT/(1-MPC)を主張している。この式は、記号間の関係式としては数学的に正しい。しかしながら、この関係は、ΔITの供給と同時に、MPCの比率( = ΔC2 / ΔY2)を保ちつつ、消費財ΔC2が同時に供給され、且つ購買され続けて、始めて成り立つ式である。初期投資ΔITによって、結局は、ΔITと等価な所得ΔITが得られるだけであることを図より理解されたい。
それでは、乗数効果を述べた最初の部分の文章はどう修正されるべきなのであろうか。最初の文章、(1)「初期投資ΔIを実施した場合、・・・GVAに従って所得ΔIに変わる。」は、ΔI2(企業による生産とその購入)=ΔI3(企業における原価と利益)=ΔI1(ΔI3に相当するΔGVA)を意味し、これは、今のところ正しい。
さて、記号の節約のために、国の財政は考えないものとする。ΔG2の問題は考察の対象外であることと(ΔG2 = 0)、この問題はGVA要素間の増分の問題であるということから、このことによって、論理的な不整合は起きない。ΔIの原資(インプット)は何であろうか。それは、投資財の固定資本減耗ΔD(=0)と貯蓄ΔS = ΔπI + ΔπC + ΔWI + ΔWC - ΔCである。ここに、π = 利益、 W =賃金、下添え字IとCは、それぞれ、その財貨に属することを示す。
実は、「初期投資支出ΔIを実施する場合、」という文節には、「投資財ΔIのみを生産及び販売し、消費財ΔCは生産しない」ということが言外に暗黙の前提として要請されているのである。従って、ΔC = ΔπC= ΔWC = 0 を得る。その結果、ΔS = ΔπI + ΔWIである。この前提の下では、当然ながら、所得増分(=賃金増分+利益増分)はΔIの生産のために全部使われ、消費が増加することはない。従って、最初の文章(1)を「初期投資財ΔIのみが生産され、販売される場合、」と書き直せば、意味が明瞭になり、(2)、(3)、(4)の文章は成立しない。
前述において、ケインズ原著図システムにおいては、「投資財ΔIのみを生産及び販売し、消費財ΔCは生産しない」ということが暗黙の前提として要請されているとしたが、実は,ケインズ原著図システムは、理論の本質上、その要請を許さない。ケインズ原著図システムにおいては、ΔC2とΔITは1対であり、切り離せないのである。
従って、前述の訂正文は次のようでなければならない。「追加的民間消費財ΔC2の生産と民間投資財の生産ΔITを、一定期間内に、MPC対1-MPCの比で、同時に、確実に実施し、かつ両者を売り上げることができれば、追加的所得ΔC1 = ΔC2、ΔI1 = ΔITを同じ比で得る。」次の乗数効果に関する文章(2)、(3)、(4)は続かない。この最初の文章(1)の施策 を確実に実施できれば、ケインズ原著図経済は可能である。
即ち、「初期投資ΔI(のみ)を実施した場合、」という文節と、ケインズ乗数効果理論は両立しない。経済施策がこの通りであれば、MPC条件は維持されないし、その文節を「追加的投資ΔIと消費ΔCを実施した場合、」と改めれば、乗数効果は存在しない。
従って、結局、本項(20)の最初の段落の全ての文章、「(1)初期投資ΔIを実施した場合、・・・、(4)・・・ = ΔI/(1 - MPC)を得る。」は、MPC条件を守る限り、成立しないことになる。
元に戻り、「消費刺激のために、国より、定額支出金ΔCMONEYを国民に支給した場合、限界貯蓄性向分(税金=0)の投資資金ΔIMONEYが誘発され、その結果、消費財ΔC(=ΔCMONEY)の生産とは別に、資本財ΔI(=ΔIMONEY)が生産される。」という命題は正しいだろうか。これは、不況のときには成り立たない。この理由は、消費財Cと資本財Iとは財貨の種類が違うからである。不況のときには、消費財と資本財に対する設備は、人員を含めて過剰設備となっており、定額支出金ΔCMONEYはその年に貯蓄に回らないという仮定をしても、支出金ΔCMONEYは消費財ΔCに変り得るが、資本財ΔIは新規に生まれないのである。なお、翌年に、ΔCが減少すれば、財貨の生産状況は元に戻り、借入金ΔCMONEYだけが残る。
この部分の論理は非常に重要である。(a)ほぼ完全雇用状態において、(b)資本財Iに対する設備が過剰設備でなく、(c)産業の純利益が平均的に黒字で、(d)公共資本財が産業効率に有効に役立っており、(e)金融機関の保有資産が健全である場合において、民間消費財の自主的な増加ΔCは新規資本財ΔIMONEYの誘発動機となり、銀行より企業に創造資金ΔIMONEYの供給がなされれば、ΔIMONEYは財貨ΔIに転化する。そして、その転化の直後に(あるいは、同時進行で)賃金の増分が限界貯蓄性向が定数として維持される分だけ増加されれば、GDPが増加する。賃金の増加がなされなければ、すぐに資本財設備は過剰となる。低賃金求職者が多数存在する場合は、又別の現象が起きる。 (注意!項目(25)参照のこと。ここの段落の論述は、多分誤っている。どのような政府支出(債務超過救済を除く)も、結局は消費財+投資財=産業界による発生GVA、に回り、年度内での経済効果は同じである。景気、不景気に対する効果としては、その支出によって産出される投資財がその後の景気、不景気に如何に影響するかという問題にすり替る。例えば、医療補助の投資性向分は、薬品企業、医療関係者の資本財に代わる。子供手当の支給は、もしそれが教育分野で費消されれば教育機関の、消費に回れば消費財産業の、貯蓄に回れば、銀行融資を通じて不特定産業の資本財に回る。株式投資に向けられれば、(減価償却のない)株価の上昇に回る。支出の限界消費性向分の経済価値は、家計における消費財貨の滅失によって年度内に滅失するが、勤労者の勤労エネルギーの再回復に転じる。2010/9/24)。
大好況時と大不況時の経済過程は、互いに逆過程とはならない。何故なら、不況のときと好況のときでは、前述の経済の前提条件が全く変わってしまい、別の経済現象が起きるからである。即ち、経済現象は非可逆現象である。
(21) 単純なケインズ乗数効果モデルを発展 させた経済モデルとして、サミュエルソンモデル*を始めてとして、幾つかの経済モデルが発表されている。それらのモデルに共通して、上記論述(20)があてはまる。分りやすくするために、次の方程式を用いる。
ここに、t=時間、x=C(消費)、y=I(投資)、z=GDP。式(5)に変数が3個表れているが、独立変数は2個(3個の内の2個)、従属変数が1個(残り)である。ここで、次の方程式1個を追加しよう。
ここに、a=定数、τ=時間のずれ(タイムラグ)を表すパラメーター。式(6-3)に方程式(6-4)を1個追加すると、自動的に独立変数は1個となり、3個の変数、z(t)、x(t)、y(t)間の関係は、或るパターンで固定的に(一意に)定まってしまう。但し、まだ、時間に対しては不定であリ、その関係を保ったまま、変数は時間に対し、自由に動いてよい。そして、さらにもう1個の方程式
ここに、b=定数、を追加すると、時間tに対しても、変数の動きが固定的にパターン化してしまうのである。式 (6-3)、(6-4) の方程式は、どんな形(例えば微分方程式)でもよく、同じ論述が当てはまる。
重要なことは、任意の二つの式を使って、どんな解を得ても、その解は、用語の定義により、式(5)が時刻tで成立っていることである。式(5)は、x(t) と y(t) は z(t) の成分であることを表し、同時刻に3個の変数が或る固定的なパターンで既に発生していることを示す。即ち、x(t) と y(t) を同時に、確実に、その確定したパターンで発生させる経済措置を伴わない限り、少なくとも、その経済モデルは、経済政策としては使うことができない。任意の3式と必要な初期条件によって得られた解は、もはや時間に対しても固定的(過去の動きにより、未来の動きが定まっている)であり、初期条件が与えられた以降の如何なる経済政策も受け付けない。要するに、投資乗数効果そのものが存在しないのであるから、これらの解析手法は無意味である。
参考文献:Paul A. Samuelson, THE HISTORY OF ECONOMIC THOUGHT, WEBSITE, http://cepa.newschool.edu/het/home.htm
(22) 民間需要が減少したとき、その減少分に対して、政府経済政策により政府支出(投資)を増加させることができれば、政府投資による乗数効果が存在しないことは別にして、確かにその民間需要減少を政府投資をもって代替させることはできる。
その思考実験を、民間企業から国営企業(もちろん、減価償却費、販売、利益の概念はある)への移行過程で行うことができる。その中で、政府の借入金増がなく、他国や民間企業との競争がなく、強制的な販売が実現でき、企業損失責任がなければ、民間需要減による失業は救済される。
この過程が政府借入金の増をもってなされるならば、失業救済政策上の最大の障害は、企業損失責任がないことである。何故なら、利益(損失)と販売によって回収された企業会計上の減価償却費とは、明確に分離することができないからである。このことは、本来、設備の真の物理的損耗や陳腐化による価値の減少(即ち、設備の稼動能力の喪失)と原価計上による投資費用(キャッシュ購入額)の回収額は、各年次会計期間で、当然には、一致するものではない、そして、損失とは借入による設備購入キャッシュを回収できないことを意味することから分る。要するに、民間企業は、企業会計上の減価償却費は売上を通じた投資費用の回収手段であると認識しているのに対し、政府関係者は、社会会計上の固定資本減耗(仮に減価償却費という用語を使っても)は、架空の政府最終消費生産物の費用(投資財の経年残存の有無は、経理的に、無意味=擬制的計上=帰属計算)であると認識しているということから生じるのである。
その経済政策によって国営企業損失が続くならば、もはや、前の借入金増は新しい借入金増によってしか返済することはできない。この論理(企業責任の有無の問題)の眼目は、設備の稼動力の報酬額 即ち、設備費用の販売による回収額の帰属権者は、その設備の所有者であるということである。
(23) 1自由度系の経済とは、或る分野の人々が或る方向に動けば、他の分野の人々がその同一方向に、自動的に動くということである。ケインズ乗数効果理論にあっては、MPCが現に統計的に存在することから、最終生産物(=消費財+投資財)の発生は、1自由度系であらねばならない。従って、消費と投資は同時に発生するものでなければならない。
しかしながら、多小の景気動向のゆれを含む定常経済状態の下では、乗数効果のことは別にして、このような消費と投資における1自由度系のような動きは自然に生じるのである。何故なら、最終生産物と所得は同値であり、消費と投資(投資財にも買い手と売り手がいる。)の関係者は、任意の時刻において、互いが相手の行動を観察し合っており、一方は、他方の動きの原因を納得すれば、その他方の動きに追随するからである。
次のようなことが起きることもある。定常経済の下のある短期間内で、投資財の輸出ΔEXが突然急増する。当然、その分、国民所得が増加する。それに刺激を受けて国内消費が新たに増加する。その消費に(1-MPC)/MPC倍の国内投資が実施される。この投資の中の賃金に再び、消費が反応する。このように、MPCの存在から、投資乗数倍としての経済効果そのものは存在しないものの、投資による消費喚起効果、あるいはその逆があるとも言える。但し、必ずあるとは言えないのである。
従って、投資乗数倍の経済効果は存在しないという筆者の結論の故に、ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)による経済政策を否定するものではない。政府は、借入金を増やさない(税金で回収できる)で、あるいは一定限度内の借入金増内で、民間や個人ではできない施策に積極的に取り組まねばならないのである。そうでなければ、政府が存在する意味がない。
(24) ケインズ投資乗数効果式、ΔY1 = ΔI2 / (1 - aK)、 aK=dC2 / dY1は、誰が見ても、あるいは調べても、確かに恒等式のように見える。筆者でさえ、少し時間を空けると、誤りの理由を見失うときがある。誤りを納得するための重要部分は、本節の項目(10)と§9、Fig.9.3における5+ΔG = Y** = ( 2+ΔG)/(1-3/(5+ΔG))、ΔG=ΔGで正しく、均衡理論による誘導では、ΔG≠ ΔG/(1 - 3/5)=2.5ΔG、1≠ 2.5で、 正しくないという部分である。さらに、§2 人間の英知作用と地球事象作用を解析するための生産理論、4 ΩDemandとΩSupply作用を含んだ経済基本式の提示中の最後の部分に、説明のさわりを入れているので参照されたい(09/8/31)。
(2013/2/27)
結論
ケインズ乗数効果理論の誤りは、次の四つの根本的な誤りが組み合わさって生じたものである。
(a) その一は、移転(§5中の税金問題を参照のこと)を含む総付加価値(GVA)の3経済指標Y1,Y2,Y3間における1年間内の流れに対する解釈誤りである。即ち、生産面でΔI2=ΔNX2=0と置くと、全体所得高ΔY1の意味するところは変わらないのに、ΔI2とΔNX2に見合った生産部分が全体生産高ΔY2から欠け落ちてしまうのである。このとき、ケインジアンクロス条件 ΔY1=ΔY2は満足されていない。
(b) その二は、二つの違った仮定( (1) ΔI2 = ΔNX2 = 0 と (2)ΔG2 = ΔNX2 = 0)の下での二つの問題の混同である。
(c) その三は、元のケインズ乗数効果図、Fig.3-3において、ΔG2(正しくは、ΔI2)の実施と同時に実現されているΔC2が隠されていることを、事実として、全員が見逃していたことである。この点に関し、後で、均衡理論に含まれる原因を考察する。(d) ケインズの原著図モデルは、C2とI2が独立変数、Y2が従属変数である2自由度系システムである。その四として、ケインズは、MPCの存在を仮定した瞬間にそのシステムが1自由度系になったことに気が付かなかった。このシステムにおいては、ΔIT ∙ MPC / (1 -MPC)=ΔC2なる量がMPC条件を守るために、ΔITと同時に供給されなければならない。ΔC2とΔI2が固定連結した一つの経済量であるときには、生産(=所得)の級数増加(等比数列)論理は成立しない。
なお、筆者の導いたFig.4-7に示すΔG2-Y1 図は、時系列型インプット-アウトプット図としては正しい。ただし、この図は説明のために作ったものであって、実際の経済では、こういうこと(ΔG2だけが独立に増える)は起きないだろう。Fig.3-13は、損益分岐点型インプット-アウトプット図として正しい。
Fig.4-7 正しいΔG2-Y1図
時系列型図と損益分岐点型図が示す最終会計データを会計期末に眺めれば、どちらのデータも同じである。しかしながら、時系列型図はデータの最終結果だけを示すのであり、損益分岐点型図は、その他に、そのデータがそう収まった原因、取るべき経済対策などを含んで示すのである。失業問題を含む経済問題の解析においては損益分岐点型図が示す概念を基礎としなければならない。
ケインズ投資乗数効果理論の誤りは、複数の誤りが重なり合って起きている。これらの一つ一つが些細な誤りというようなものではなく、経済問題の解析手法に関する従来の手法の根本にまで関わるのである。読者は、 前項(1)-(24)の説明に含まれる記述一つ一つを確認しながら進まないと、ケインズ投資乗数効果理論の誤りの全体的な理解は困難になるであろう。
否定証明の終わり
あとがき1
一部の文章を削除した。
日本国で、累積国債発行額が異常に膨れ上がった原因は、大きく二つある。一つは、投資乗数効果を基礎とするケインズ有効需要原理(有効需要の原理)理論が本来、政府による失業救済のための理論であったにも関わらず、日本国では、その目的を超えて、その理論がある時期から、(1)経済発展と、(2)経済不況克服と、(3)内需拡大のための基礎理論として適用されるようになった。そして、何ということか、実は、この理論を支える基本式そのものが誤っていたのだ。しかしながら、この基本式の誤りは世界中で共通である。日本国のこの異常事態は、或る理論をその理論の適用範囲を超えて適用してしまったという政策上の誤りから生じたというよりは、或る思想を正しいと信じこんだら、懐疑を含む多方面からの議論を一切許さない一途な国民性から生じたものであると思う。
この主題に関しては、次の事項が関係する。1971年、米国の変動為替相場制採用と1973年第1次石油危機から生じた不況対策。1980年代の対米自動車輸出の急増に伴う日米貿易摩擦問題の深刻化。1990年、日米構造協議における日本国の内需拡大策の表明(翌年度より、10年間で430兆円の公共投資を約束)。1991年から始まったバブル経済の破綻から生じた大不況に対処するための公共投資。
なお、現在(2006)、国の公共事業支出は既に、バブル経済が始まる前の規模に戻っている。従って、ケインズ投資乗数効果式の誤りによる経済危機問題は、国債の元金返済問題を別にすれば、既に終わっている。4条公債の発行額は現在250兆円程度、その半分近くは、バブル破たん前に発行されている。現在の日本国の経済危機に関する問題は、公共投資ではなく、公共消費である。特例公債は平成8年ごろ(70兆円程度)から急激に増大し、現在450兆円までに膨れ上がっている。
公共消費の問題とは、典型的な消費支出(現在の1年間に発生する財貨とサービス価値の滅失)である年間の政府社会保障費用を現在の税収(社会保障負担を含む)の範囲内に収めず、その結果として、その財政欠損額は、国民の蓄積貯蓄の再投資回収(売上げによる投資回収)が期待できない費消となったことである。
この誤りは、日本国における高齢化社会の到来とは本来、無関係であり、この問題は、過去から引き継ぐ誤った経済思想とそれに基づく政策から生じている。この問題はケインズ乗数効果理論とは無関係であり、経済学の大失敗の故である。政治家の無責任は、第2義的なものである。何故なら、政治家と官僚、マスコミを含めて、経済学の理解は経済学者を超えることはないからである。この事態を誰も予想できなかったのであるから、失敗とはいえないが、少なくとも問題が顕著になり始めてからは至急に経済方針を変更すべきであった。
何故、「過去の世代の年金費用を現在と未来の世代が負担するべきである」という経済思想が経済学の中で長く続いていたのであろうか。それを年金制度成立の歴史的な由来の故とするのは学問の放棄である。無償の年金とは、戦死軍人家族、戦傷軍人、退役軍人の面倒を現役世代がみるためのものである。一般人の生活を命をかけて守り、その結果戦死した軍人に感謝し、戦死者の家族の生活を助け、戦傷者の生活を無償で保障するものであって、通常人の命や生活を無償で守るためのものではない。通常人は、生きている間、自分達の同世代同士が、家族が、有償で助け合うべきものである。決して、子供や、生まれていない人が亡くなった見知らぬ人の生活を支えるべきものではない。
さらに、「現在の人々の命の価値は、現在と将来の人々の生活(即ち、命)を脅かすほどのものであってはならない」という当たり前の考えを経済学者は何故叫んでこなかったのであろうか。経済学者は、経済学上の真理の探求と主張に責任がある。経済学者は、大衆に迎合する必要はない。
国民経済計算におけるケインジアン3勘定システムによれば、法人を含む人々による現在の年次投資は、現在のその人々の年次貯蓄(gross)によるものである。過去の投資の今年度分投資回収額(借入金返済額)は、過去に投資した人々が全額受け取っており、投資していなかった人々は誰も受け取っていない。人の命を扱う医療費は、国の命を扱う軍事費という消費(年度内の生産物の価値の消滅)と同じ経済的意味を持つものである。そして、全ての生物にとって、今一瞬より先の未来の生存を保証する原理は何も存在しない。子孫の生命よりも、自身の生命を優先する生物は存在しない。
元に戻り、そんな簡単なレベルの説明と疑いは、ケインズ著書の当初から誰にでもできている。誰よりも、ケインズ自身が一番良く知っていた。当時、ケインズを除いた全ての人々がそのような考え方をしていたのである。そして、そのような経済学の状況の中で、ケインズは、何とかして失業を解決したいと苦闘し、革命的な数学的論理を発見した。即ち、或る量の投資は投資乗数倍の所得を生み出す。労働価格の硬直性の故に、企業側の労働数量供給が調整され,非自発的失業が発生する。それ故、その失業を救済するには、公債を発行して公共投資によって有効需要を喚起してやればよい。そして、全ての世界中の経済学者がその論理を数学的には真理であると認めた。そして、それ以来、誰もその論理を数学的に否定証明することはできなかった。
「数学的」という用語と「誰がやっても、或る仮説に再現性がある」となれば、「科学的」という用語になる。ケインズ理論は、長い間、「ほとんど科学的」であったのだ。それ故に、その理論は、経済学理論の基本中の基本として、今でもほとんど全ての経済学教科書に載っているのである。その理論は、現実に合わないから、あるいは古いから初級段階の授業で教えられているのではなく、真理と認められた近代経済学を支える最重要骨組みであるからこそ、初級段階で教えられているのである。乗数効果理論を載せていない教科書(実際に、あるのだろうか?)は、その理論が現実と合わない方を優先し、その理論の数学的な否定から逃げているのである。その教科書では、所得と需要の関係をどのように説明しているのだろうか。
今となっては、ほとんど全ての経済学者が、投資乗数効果は現実の経済の動きと合わないことを知っている(?)。しかしながら、誰もが自身による数学的な証明によって、学者生命を掛けて、乗数理論を完全否定することができないので、完全否定発言をしていなかっただけである。
投資乗数効果理論の呪縛から逃れるためには、その理論を数学的に否定証明し、且つ、それに代わって、失業問題を解析する新しい理論解析方法を提供することが絶対的に必要である。何故なら、第1に、乗数効果理論の否定だけで、新しい解析理論の提供が無ければ、再び70年前に戻るだけである。
次に、日本国のバブル破綻以降の経済の動きや直感的な経済発言、懲り懲りしたという日本国民の実体験は、いずれは忘れ去られる。政治的経済施策も、数学的な論理に基づいたものでなければ、経済政策失敗の回復のための実際的な経済施策上の一方法論として位置付けられるだけである。その時でも残っているのは、その時でも真理として認められている科学的、あるいは数学的論理だけである。50年後に、中国かインドで、1990年代の日本国の経済状況が再現されたら、世界経済の惨状は想像すらつかない。
ケインズ乗数効果理論は、簡単な説明で完全否定されるような理論ではない。いや、投資乗数の存在は、ある条件下では、完全否定できない可能性が高い。それは、経済モデルの中で、投資乗数(あるいはMPC)は、今のところ、需要と供給をつなぐ、あるいは消費と投資をつなぐ唯一のか細い糸みたいなものであり、その式の形がそのまま保留されるかどうかは別にして、経済の発展や沈滞に深く関与する人間の集団心理や経営者の意志を表す係数として、経済モデルの中に将来も残る可能性があるからだ。
数学的な証明ができなくても、勇気ある経済学者は、批判をあび、無視されながら、学者生命を掛けて、前々から乗数効果理論の否定発言をしている*(2)。自らケインズによる乗数効果証明に比肩し得る否定証明を与えないで、あるいはそうできなかったのであれば、過去の否定論者の文献名を明示しないで、そのような態度を取ることは、見苦しい。
そのような態度は、ケインズにも、他の歴史上の高名な学者にも、ケインズ学説に一生を掛けている人達にも、前々から否定発言をしていた人達にも、現在、乗数効果理論を学んでいる世界中の学生達にも、乗数効果理論の誤りの結果(筆者の考え)、苦しい景気状況下の下での、失業者、破産者、自殺者や経営者にも、失礼である。筆者の会社の最近の売上高は、その前の数年間の平均に比べて1/3になっている。
筆者はここにたどり着くまで(2006)、11年掛かっている。筆者による管理総利益図理論も、日本の某会計学界論文集に投稿した結果、何度も書き直しさせられた上で、最終的に、同一数学問題に対する解に対し、Solomons理論(会計学教科書理論)と筆者理論との解の真偽が査読者と編集委員会では判断できないという理由で、論文集永久掲載拒否の査定を受けている。本理論構築に際しても、自身の質問を解決したと思った直後に、新たな超難問が次々と出てきて、絶望的になったことが何度もある。筆者自身それだけの努力をしている。
ケインズは、今なお、乗数効果理論に基づく有効需要原理(有効需要の原理)の独創を含めて史上最高の経済学者の1人であり続けている。ケインズを置いて他の誰が『雇用・利子および貨幣の一般理論』を書き得たのか? 誰が近代経済学の枠組みを作り得たのか?
読者は、筆者の否定証明論述に、全く過去の文献名が引用されていないことを不審に思うかもしれない。実際、ケインズ乗数効果理論を練り上げる理論やワルラス理論との対比に関する文献は数多く存在しており、乗数効果を直感的に否定論述する文献も相当数見られる。後者の文献は、投資乗数の存在は認めた上で、その効果は何らかの理由で小さいとしている。しかしながら、筆者の知る限りでは、投資乗数効果の存在を数学的に否定することを主題とした文献は、過去、現在を通じて全く存在していないのである。もしその文献が存在して、投資乗数効果理論の完全否定に成功しておれば、現在の教科書にその理論は載っていないし、筆者の研究もなかったことになる。そして、日本国のこれほどの戦後の経済発展と経済バブル破綻後の膨大な国債の発行も無かったかもしれない。
筆者は、数多くの式と図の中を、それらを修正しながら行ったり来たりした。このウエブサイトは、その思考過程を示すものである。今各節を見るに、少なからぬ記述の不整合と重複が見られる。しかしながら、これらの記述を一貫したものに訂正しようとしたら、大変な時間と労力を必要とするだろう。そのような仕事の有無に関わらず、ケインズ投資乗数効果は存在しないという筆者の結論は変わらないだろう。
本節を閉じるにあたって、筆者の言いたいことは、ケインズ投資乗数効果は、会計学的に、又、数学的に存在しないということであって、公共投資は必要でないということではない。公共投資することが景気の上昇や回復 のきっかけになることもあるだろう。。でもそれは、公共投資効果によるものであるかもしれないが、公共投資乗数効果によるものではないということである。ケインズ投資乗数効果があろうとなかろうと、経済発展途上国にとっては、公共インフラの整備は必須である。
前述の文章は大分前に書いたものである。ここで、訂正文を加える。この事態(社会保障関係費用の急激な増大に基づく諸問題)をそのときには、誰も予想できなかった(想定外)のであるから、失敗とまではいえないが、少なくとも問題が顕著になり始めてからは至急に経済方針を変更すべきであった。今に至ってはもう遅いがそれでも即刻経済方針を変更すべきである。
適切な公共投資は、国土の改良と保全、所得の再分配と経済成長のためには、必要欠くべからざるものである。
健全な投資は、国民の未来にとって、確かな基盤である。
公債による過度の消費は、国の死に到る病である。
あとがき2
公共消費に関し、2010年度,付表6-2.を参照して付言する。国の税収(純生産輸入税36.9 兆円+経常税37.6兆円+その他税収1.1兆円)=75.5兆円、社会保障基金関係負担 兆円、その他の収入を加えて、兆円である。国民が社会保障基金に支払う負担は 兆円(内閣府、付表10)、政府が家計に支払う社会保障給付は、兆円(基金関係)+ 兆円(非基金関係)である。社会保障基金関係の赤字だけで、年間 兆円である。これに比べ、公共事業費は 数兆円である。政府自体の生産(GVA)は、付加価値分 兆円(雇用者報酬29兆円、固定資本減耗14兆円)である。国の税収 兆円の内の 兆円を除いた残り 兆円は、国内の産業が純生産しているのである。純生産 兆円の生産者が、毎年 30〜40兆円近くの借入額を純増加させて債務者となり、それを国民消費に充てている。大部分の財貨が消費の文字通り、費消されて生産価値が毎年消えている。借入金によるものでなければ、あるいは近い将来に、現在の借金状態を引き起こした中高年世代が返済することができれば何も問題はない。公共施設が老朽化して滅びつつあるときに、相変わらず、誰もが公共事業費 兆円の削減の方にばかり声を上げ、30〜40兆円の赤字の原因の方には目をつむっている。数字は整理中のため除去した。この理由は、政府赤字の原因解明のためには政府の入出金を(地方+中央)政府と社会保障基金グループとに分離して表示すべきところであるが、その集計に手間取っているためである。近いうちに表示する。
生産された消費財(サービスを含む)が1年の会計期間の間に現物滅失(もちろん社会保障給付の一部は民間j固定資産形成に回っているが)するのは当然であり、このことに問題があるのではない。衆知の通り、経済は、各セクター間での生産→滅失→再生産による循環によってなされる。その循環の媒介物がCashを含む信用(日常の生活と留保価値としての資産を回すための約束ごと(人間の理念)、以下Cash)である。その循環における媒介Cashの会計期間内の動きは、[定常循環として巡る生産と消費勘定の中で動く]Cash+[創造Cash−創造Cashの回収Cash]のように表される。なお、この式の中身は、大きなCash-Flow行列でないと表せないので、省略した。この中で、賃金とは、現労働賃金と労働引退者の過去の賃金貯蓄であるべきであることに注意する必要がある。ましてや、生まれてもいない未来世代の賃金は含まれていない。もし、未来世代の賃金を考慮するなら、会計期間を現在からその世代までに延長し、そこに累積されている債務残額をその勘定に入れなければならない。
創造Cashは人間の未来に対する希望から生まれるものであり、それが健全な量以下に納まる(循環を維持し得る)限り、経済は大きくなる。ところが、希望が強欲に、哀願が強要に、疑いによる拒絶決断が短慮(無知)による無謀決断に変わるとき、創造Cash<回収可能・創造Cash+回収不可能・創造Cash、すなわち創造貸付Cashを回収できないという現象が起きる。この現象が長く続くと、困ったことに、Σ回収不可能・創造Cashの量が既に実物財貨に代り、生産、消滅の循環が何度も実施されているので、貸付Cash回収のための循環への後戻りができないのである。その時点での、根源貸付者は中央銀行、債務者は政府であり、その債務を(利子稼得のために購入している)者は国債保有者であり、残りの機関は、この貸借関係書類が存在しない限り、貸借関係に無関係である。貸付者のCash原資とは何か。もちろん同じ根源貸付者による創造債務である。筆者は、このΣ回収不可能・創造Cashを空(クー)集合債務と名付けている。貸借関係に対する無関係者(貸借契約を結んでいないという意味で)の外で、中央銀行と政府と国債保有者との間で、回収不可能・創造債務からCashが繰り返し繰り返し発生し、増大していく。 この部分の記述に関しては、後述の経緯におけるリカードの比較優位理論も参照されたい。
次の番組を見られたい。"Am I Bankrupting Social Security by Taking Benefits I May Not Need", PBS NewsHour, http://www.pbs.org/newshour/businessdesk/2013/09/am-i-bankrupting-social-securi.html このシリ-ズ(Paul Saloman)は、1テーマでPrint5〜8枚、Talkで10分以内程度で、英語と経済学の勉強にちょうどよい。何よりも、経済弱者になっている人達に対するSalomanの視線がよい。彼が分からなくて(時には、分からないふりをして)各界の権威者に質問していることは、全て世界中の経済学者の誰もが現在分かっていないことである。他にも同じような経済学テーマのTalk番組(もちろん米国、EU中心であるが、それが現在の世界の経済学テーマの発信国である)が週に1〜2回ある。PBS NEWS HOUR の中で、「 2010 Archives The Business Desk PBS 、(2010は任意)」、あるいは「Business&Economy」を用いて検索すると、各種の経済学テーマが見つかる。これらが現在生きている経済学テーマで、互いに相反している見解が述べられている。筆者の見解では、(1)各論者の論理には、会計学を満足しないという意味での研究水準の不備のために論理的に誤っているものがある、(2)会計学論理としては合っているが、その時代、瞬間の時々で、現状の経済政策としては、正しいものと正しくないものとがある、(3)時代の経過(経済環境の変化)とともに、前の時代には経験していなかった新しい経済問題が生じ、その矛盾の解消のために新しい理論が生まれるが、その理論が正しかったかどうかの検証には70年〜80年かかる。
その理由は、経済的成功の経験が経済的失敗の原因を同時に育てるからである。さらに、世界は経済だけで成り立っているのはなく、他のあらゆる領域における環境変化からなりたっているからである。昭和35年前後以降から日本経済は発展を続け、賃金は上昇した。その当時、共産主義諸国は、資本主義諸国とは経済圏としては無縁であった。個人が豊かになるとは、消費財の購入だけにCashが向けられるわけではない。豊かさを実現する土地の購入(ちなみに、土地資産とは、土地所有権であり、土地登記簿を守る社会制度強制力である)にも、財産(貸借関係)所得を発生させる原資、すなわちCashの貯蓄量の増大にも関心が向けられた。各種のインフラ整備を進めた。農産物を含め各種生産物の産出は増え続けた。低賃金国との同一競争製品をめぐる貿易競争が将来始まるとは、低賃金国を除き、誰も思っていなかった。それに伴い、Cashy供給量はどんどん増え続けたが、そのときには、銀行(郵便貯金含む)の貸付はすべて回収された。でも、そのときに、現在の不況の原因である土地の値下がり、生産能力が失われている人間の長命化、それに伴う医療費の高額化、低賃金国との対比における高賃金による経済競争力の低下を同時に育てていたのである。
このことについて、次のことに注意して欲しい。今まで選挙権の無かった若者、まだ生まれていない未来の人間は、この貸借関係に全く無関係であり、債務を引き受ける責任は全くない。もし大事変が起きたらこの人達、およびこの人達を養育している階層に対する生活の保障を最優先して施策を進めるべきである。年金の負担、受領は、どのような制度であれ、両者が将来を通じて常に均衡していれば問題は生じない。医療費は、患者(非労働者の場合)が費用を得ているのではなく、医療産業が所得として得ている。実際は、医療産業の原価の大部分は医療産業賃金であり、その医療産業行為は、全産業における労働者賃金、及び退職者の貯蓄賃金との交換を通じて、互いの生産消費財と交換されるべきものである。現在の問題点は、その根本命題が崩れているところにある。
借金には利子の問題がある。借り手は利子支払いで普通は、まいってしまう。ところが政府の純利子支払額は、国債利率が大きくなってもそんなに大きくならないので、政府は騒がないのである。その理由を自分で考えて欲しい。経営者はよく分かるが、債務を返済するCashは動いて回っているCashであり、売れない資産がいくらあっても、あるいは法的に手をつけてはならないCashがあっても、返済の役にはたたない。回収できない政府の借入金(動いているCash)は、その全部ではないが、空(カラ)の信用(即ち、幻想)による結果生まれたものなのであり、この空の信用を運営する機関の費用GVA(賃金+減価償却費+営業余剰)が利子(財産所得)の形となって確かにGVAからGDPという実物財貨に変わり、GDPを膨らませている(金融産業の繁栄)のである。その意味では、回収できない政府の投資あるいは消費は、幻想的な信用(又は妄想)による「投資あるいは消費乗数効果(妄想によるものであるから数値としては不明)」を持つともいえる。
この事情は米国も同じである。次の番組を見て欲しい。"Why Debt and Money Created 'Out of Thin Air' Are Necessary, Not Evil", PBS NEWSHOUR 。証明はないものの、過半の理由(筆者は、さらに別の理由もあると考えているが、今は省略する。)は述べられている。為政者および学者のTopは多分感覚的に、および状況把握的に、この理屈を分かっている。しかしながら、正論である政策を実施することはできない。その理由は次の通りである。(1)現在の失業が増加する経済状況を説明する会計学と数学による証明,特に会計学による証明が現在のところない。(2)正論政策を実施することは、不況に突き進む道である。(3)不況政策を主張すれば、選挙で敗北する。(4)大衆を相手にするマスコミ(新聞,雑誌)は、商売にさしつかえるので、多数の有権者の耳に心地よい意見だけを述べる。(5)今以上に失業を増加させる経済政策があるが、その道が次の時代の世界経済覇権を獲得する道であり、世界各国が競ってその覇権争いに参加する以上、参加を躊躇することはできない。(6)世界の主要国の今の赤字課題は、労働世代の失業の増加、非労働世代の急速な長命化、それに伴う医療・失業・年金・社会扶助に関する負担と給付の急速な不均衡化である。この中に、過去の経験に基づく道徳規範から、非を指摘しにくいものがある。(7)経済学は、統計を見るだけであっても、実際に難しく、理解しがたい。経済学の教育を受けた人も含めて、国民の90%以上は、まず各課題の理由と解決策を理解できないと思われる。証明はないものの、大半の理由(筆者は、さらに別の理由もあると考えているが、今は省略する。)は述べられている。為政者と学者のTopは多分感覚的に、および状況把握的に、この理屈を分かっている(?)。しかしながら、正論である経済政策を実施することはできない。その理由は次の通りである。
(1) 筆者の見解では、現実の経済全般のキャッシュフローの動きに完全に適合する経済構造理論が現在のところ無い。従って、言葉により説明する場合を除き、現在の失業が増加する経済状況を説明する理論、および繰り返し金融恐慌が発生する理由を説明する会計学、数学に適った理論が今のところ無い。
(2) 正論政策を実施することは、不況に突き進む道である。
(3)不況政策を主張すれば、選挙で敗北する。
(4) 大衆を相手にするマスコミ(新聞,雑誌,テレビ報道,)は、商売にさしつかえるので、代弁者を使って多数の有権者の耳に心地よい意見だけを述べる。
(5) 今以上に失業を増加させる経済政策があるが、その道が次の時代の世界経済覇権を獲得する道であり、世界の経済強国が競ってその覇権争いに参加する以上、自国が参加を躊躇することはできない。
(6) 現在の事態の一因を作っている国債保有者たる銀行や政府基金を一時的にせよ滅ぼすわけにはいかない。
(7) 世の中に債務(現金、証券)を増やすことは、借り手、買い手がいる限り、確実に債権(Cashの貸し付け)から発生する利子所得媒介管理運営者の働きによる所得(すなわち、金融産業のGVA)を増やす。
(8) 世界の主要国の今の赤字課題は、労働世代の失業の増加、非労働世代の急速な長命化、それに伴う医療・失業・年金・社会扶助に関する負担と給付の急速な不均衡化である。この中に、過去の経験・文化に基づく道徳規範(当然ながら、法律もその規範の範疇を出ない)から、非を指摘しにくい(非道と言われる)ものがある。もう少しすると(実際は今もう既に始まっているが)、その道徳規範のために、親の介護のために職を離れざるをえない人が大勢出てくる。
(9) 同じことであるが、社会保障基金を特徴づける最も基本的な理念である「負担額と給付額とを直接的にリンクさせないで、世代間内で再分配する、及びそれを越えた異世代間でそれらを再分配する」という思想上の基盤は現在では完全に崩れさっていると理解すべきである。すなわち、今までは経済学の便利道具であった社会保障における「移転」という概念は、少なくとも現状の日本においては成立する社会環境になく、政府が今にも倒れそうになっているときを前にしては、社会保障は「契約」に基づき負担・給付するという概念に統一すべきである。障害者などの真の不運者に対する手当は、別途考えればよい。
今最盛期にある経済学論者は、最盛期の日本経済の姿とバブル後の衰退期の姿を見ているが、それを生産技術の観点から見たGDPの増減によってのみ、見ている。国民の長命化の観点から見た若年者の労働需要減(賃金減)、経済のグローバル化による消費財輸入から見た労働需要減の負の面からも考察すべきである。なお、筆者はこの現象は世界的にみてやむを得ないものとみているが、その与えられた条件の中で、国民が生きていける経済構造理論を作り、経済破綻は避ける正論を主張すべきである。人類の長命化、医療費の高額化・その他の社会保障の増大化は、歴史的にあまりにも急激で、学問の水準がついていっていないのである。普通は生産力が高まると消費財は安価になるが、長命化(自己の貯蓄を越えて医療消費する人に対してのみ)の場合だけは逆になる。
なお、筆者は国民の長命化を非難しているのでは全くない。それを国民賦課(税収入+社会保障負担)の範囲内に収めるべきであると主張しているのである。その方策は次の二つしかない。増加された国民負担>現状の社会保障給付+今までの累積債務の返済分、又は、削減された社会保障給付+今までの累積債務の返済分<現状の国民負担。
(10) 経済学は、統計を見るだけであっても、実際に難しく、理解しがたい。経済学の研究者の間においても、正反対の結論を導く理論が現に数多く並立して存在している。経済学の教育を受けた人も含めて、国民の90%以上は、まず各課題の理由と解決策が仮に見つかったとしも、それを理屈として(科学的に)理解できない、また自分の生活上、理解しようとしないと思われる。前述の移転用語に関する言い分は、確かに乱暴であることは分かっている。しかしながら、何か工夫しないと、このままでは民主主義社会の経済(特に日本では)は選挙の度に悪化していく。この政府赤字原因の第1の説明責任者は学会であるが、マスコミも共有して欲しい。日本の政治家には、この問題に関する限り期待する方が無理かもしれないが、米国における共和党と民主党との間の財政緊縮論争をまねごとでもよいからやって欲しい。
(11) 多分3千年前くらいから始まる貨幣制度は、人間が個人的に又社会的に生きる手段として大きな役割を果たしてきた。そのため、通貨に対する概念(特に貸借関係)は、慣習的な通念(社会規範)を通じて感覚的に守られてきており、それに対する感覚は、言語感覚のように本能に近いものとなっている。それに伴い、筆者の見解では、通貨(信用)の下で動く世界とは、科学的な研究対象となり得る事象から成り立つ世界というよりは、信仰の世界に近いようなものになっている。ところが、経済とは、人間の生存にとって、自然環境そのものであり、自然環境は大なり小なり常に変化する。それに応じて人間は変化し、進化する。ところが、金本位制度を離れた以降の通貨制度の下における経済、および社会変化のスピードは、3千年の信仰規範を越えており、人間は感覚的にその変化についていっていない。そのため、仮に科学的な(会計学的に、かつ数学的に証明された)正論としての経済政策を得ることができたとしても、信仰体験から、又自分自身の生存のために、正論たる経済政策を受け入れないのである。それにしても、米国では、政府破産問題に対して、国民世論、政党が真剣に対立、論議し、そして実際に予算執行を停止させているのはうらやましいことである。
国債の行方とそれに伴う日本経済の行先はどうなるか?それは、次の番組が参考になる。”Known as the 'safest asset,' bond market braces for U.S. debt ceiling deadline”, PBS NEWSHOUR, http://www.pbs.org/newshour/bb/business/july-dec13/bondmarket_10-15.html ,2013/Oct./15 .
(1) もし政府が破産に直面したら、政府の一番の必要策は、政府資金を誰にも支払わないことだ。それはその通りだ。
(2) 国債の所有者は、日本では、80%が各種銀行、日銀、各種官民の保険・年金関係である。もし国債が危なくなったら、国債所有者の一番の安全対策とは、所有している国債を売らないことだ。次に、新規に売り出される国債を全て買い続けることだ(金利が0に近くても)。当然といえば当然だ。であるから、金融危機のときには、結局皆が一般証券を国債に買い替える。従って、国債とは金融危機のときの一番安全な証券である。これも言われてみれば納得する。
(3) 毎年40兆円近くの増加国債を誰かが引き受けなければならない。信仰の世界に生きている者は信仰を放棄することはできない。信仰を放棄することは、信仰の対象を放棄し、それによって世の中における自分の存在意義、すなわち生きる術を放棄することになるからだ。しかしながら、借金によって得た資金は、社会保障給付消費として国内で毎年消えていっている(無駄という意味ではない、消費産業がこれで維持されている)のである。政府と政府債務の利子所得に関わるグループは、10年は持つかもしれない。持つとは、信じていたものの真実が分かった時に、信仰を維持する意志を持ち続けことができるかということである。しかしながら20年は持つか?持つかもしれないし、持たないかもしれない。それではその先は?平和時において、この現象(民主主義社会において、尽きることのない国民の欲望(強欲)に応えるために、国の債務を限りなく増やしていく現象)は、平時における世界史上始めての経験(君主や国家が滅亡するときを除く)なのだ(米国とデンマークの選択に注意)。
民主主義国家における国民の長命化に基づく政府債務の増加は、人類史上初めてのできごとである(今までは社会保障基金の理念に基づく財源で経済が回った)から、その処理の行く先は誰にも分らない。もちろん筆者も分からない。この事態は、米国でも、EUでも、その他の民主主義国においても皆同じである。但し、今危ない危ないと外国から言われて、国民に苦痛を与えながら、国民が貧乏になろうとも強制的に財務体質を変えている国ほど、国の将来の経済的崩壊を避けているという意味では安全である。
(4) 筆者の日本国政府債務に対する見解は、次の通りである。もう今となっては遅すぎる。このまま、ずるずる、10年、20年と、この状況が続いていく。筆者の名づける「空集合(Empty Set)としての信用」、P.Salomanの名づける”Thin Air”は、絶え間なく増えていく。世界の債権(証券)保有者は、少しでもMoney価値が保ちそうな場所を見つけ出そうとして右往左往する。そして、何時か、どこかで、革命的な経済分野における大変動が起きる。そしてそこから、世の中の新しい革命的転化(進化)が始まる。思想を含め、古い世代が滅び、新しい世代が勃興するチャンスである。そのときに、それまでの経済通念、政治慣習に残る「しがらみ」を切ってしまおう(これが「活」の語源である。白川静辞典より)。
若い人は、今の内に、各自、その事態を乗り切って忍耐強く確実に生き得る力(武器あるいは身を耐え忍ぶ術)を身につけておこう。若い経済学徒は、せめて次の50年はもたせる新しい経済学と道徳規範を打ち立てよう。年寄りは、何もかも失う危険を避ける対策をとっておこう。貯蓄したつもりの国内金融資産価値は失われる(数字は残る?)。生活は苦しくなる。しかしながら260兆円の海外資産がある。但し、海外が先に破産しないことが前提である。国内工場も、世界各地の日本工場、店舗も健在だ。国際経済競争力は上がる。勉学の自由と職業選択の自由が確保されている社会では、公正な選挙制度の下でのあらゆるできごとは、結局は国民1人1人の個人責任に帰する。何時か、日本発か世界のどこか発かで、経済的大事変が必ず起きると覚悟し、個人責任の下で日頃からそれに備えて訓練しておけば大丈夫夫だ。筆者のモットーは、「明日のことは誰にも分からない」、「成功体験は失敗の元」、「ピンチはチャンス」、「こつこつこつこつ倦まず弛まず」である。もう一つ「一灯を掲げて、ただ一人進め(ハンセン氏病患者のニュース記事から)」である。
<注 Thin airは熟語から来ているのであった。create money out of thin air 何もないところからお金を作る[生み出す]、create something out of nothing 無の[何もない]状態から何かを作り出す、out of thin air どこからともなく、無から、何の根拠{こんきょ}もなく、英辞郎、アルク社より>
(5) 国民は皆優秀な人々からのみ成り立っているのではない。逆から数えれば、優秀でない人々は優秀である人々と同じ数だけいる。その中で、筆者は、金持ちをもっと金持ちにするのではなく、非自発的失業者(賃金の多寡、年齢、性別に関わらず、職場が無い人)を発生させないような方策を提供することが経済学の務めだと考えている。非自発的失業者がいなければ、賃金は放っておいても上がる。
筆者が未だ解析式を提示し得ていないのに主張するのは心苦しいが、全労働者の7、80%に賃金を支給している(財貨交換からみて当然のこと)消費財市場を維持し、育てることが重要である。輸入消費財貨(名称は中間投入であるので、生産勘定の中に露わには現れない)そのものには国内の労働者賃金は含まれていない(販売賃金はある、自国の非労働者が自国の労働者賃金を使って、他国の労働者賃金を支払っている)ことに注意して欲しい。そのためには、隣の人が作ったちっぽけな製品でも、互いに生きるために、自分のちっぽけな製品と交換し合うという国民消費意識を教育により育てておくことが重要である。そもそも国内に働く場所が無く(少なく)なれば、リカードの比較優位理論も成り立ちようがない。但し、行き過ぎれば、鎖国主義となり、国が世界の中で衰退するのも当然ではあるが。要はバランスである。
日本はエネルギー輸入国である。遠い将来に渡って、この環境から逃れることはできない。その日のために、費用の多少の差には目をつむり、エネルギー確保のための多様な手段を見つけて実施実験しておくことが大事である。不測の環境変化に対応する生命活動を進化させるためには、全ての領域において、常に多様性を維持し続ける遺伝子を育てておくことが大事である。育てておくとは、どのように育つか分からない小さい新しい変種の芽に、あるいは特異性状を有する古い種類の種子に、社会全体で、生きる術、すなわち少額であっても賃金を与え続けることである。繁栄の時代を味わった生命には、面倒を同一世代の中で処理させて後世に残すべきではない。世の中の環境がどう変わっていくのかは誰にも分からないのだから。
あとがき3
もう一度考え直してみた。日本というこれだけの経済大国において、戦争目的である場合を除き、政府の借入金が関わる経済分野に限ってではあるが(ここの部分が十分に国民が信用している国家内部において、数字を記した記録文書が永遠に国内信用維持の根幹(神と同じ偶像)となり得るかという命題である)、全国民が関わる勘定(社会保障)場において政府借入金を絶え間なく増やしながら(これには貸借契約がある)、借入金返済義務の貸借契約がないのに、実物経済である生産勘定と滅失勘定と再生産勘定が何事もないように循環していけるかという経済実験を我々は始めた。政府運営者(政治家と公務員)自身に借入金返済義務があるとは、政府運営者の誰も考えていない。少なくとも日本国内においては、「後世代にこの借入金返済負担を押し付けることになる(毎年毎年、同じ新聞記事。この新聞は未来の予想勘定を同時に必ず加えるべきである。)」という論調であるから、国民自身も自分達の返済負担であるとは誰も考えていない。借入金総額自体は次世代の実物経済に対して何の影響もなく(単なる絵や、現在でもお化けはいるよ、この数字がそうだよというようなものにすぎない)、次世代が健全に生きられるとなれば、これは経済学における革命的大転換となるだろう。
これは冗談として言っているのではない。今までは借入金の返済責任が人間生活を絶対的に苦しめてきた。この実験が成功すれば、日本人は債務(少なくとも政府発生債務の範囲内において)という苦痛から解放されることになるだろう。全世界にこの体験は広がっていく。返済責任がある人はどこにも見つからない。政府の純支払利子は予想に反して大して増えない。(国内)国債保有者が騒げば保有者自身が自滅するのであるから、債務不履行はおきない。前述3者の間だけで、貸借関係は維持されていき、金融関係者のGVAは増え続ける。少なくとも政府債務に関わる経済場においては、貸借契約は問題とならず、国民も、政府も、銀行も全員が喜ぶ。しかしながら、十分な時間経過の中で、これらの関係が維持し得ないのは説明するまでもなく明らかである。
この事態の根本問題とは、「誓い(現在では契約)というものは、人と人との間の約束ごとを神に誓って守ることだ。もし守れなければ入墨を入れられて囚人となる(「言」、「誓」、「信」の語源:白川静辞典より)。」という歴史的な絶対規範を前にして、借入金返済約束のない中で、(1)信用というCash(単に文字)を媒介にして、交換実物経済が何事もなく、あるいはいったい何時まで、維持していけるのかということにある。(2)さらに又、全ての個人、各種機関において、金銀や土地がCashの生死に関わらず保留価値を後世に引き継ぎするという役割を果たしていたのに対し、過去の賃金の内、消費財に変換されずに留保された(即ち家計で貯蓄された)金融資産(対価は現に人間が生活するための消費財で、毎年滅失している)が後世に実物資産と交換し得る価値を何世代にも渡って維持し得るのかという命題でもある。純粋鎖国であればこのような事態も永続できそうにも思えるが、ほとんど鎖国同様であった日本国の実情としては歴史上ない(但し、債務者となった支配層が倒れ、金銀価値に信用根源を持つCashは引き継がれる)。
誤解しないように付け加えるが、政府による過度の社会保障消費サービスが失業の原因となっているのではない。社会保障は、我が国の消費需要を支え、雇用に関してはプラスの効果を持っているのである。それは、バブルによる景気の急激な落ち込みのときに過度の公共投資が何とか日本経済を支え、失業の発生を最小限にとどめた理由と同じである。問題は、その結果、政府と国民との間に契約に基づく返済不可能な債務が残ったということである。その処理問題が近い将来日本経済に大激震ををもたらすであろうということである。筆者の予想では、世界各地における失業の原因は、多分未だ解析的に解明されていない別の原因にあると考えている。
現在の貿易国としては、大事変の発生の有無に関わらず、通常の実物財貨の供給は日本国内だけで何とでもなるが、エネルギ−輸入だけは大問題になる。上述の通り、大事変が起きれば、金融資産の大毀損が起きるから、貯蓄していたはずだった退職老人世代は壊滅的な大被害を被るだろう。でも、結局は公正な選挙制度の下では、国民1人1人の個人責任に帰する(但し選挙権の無い人を除く)が、とりわけ教育生産の最終消費財(政府と対家計非営利団体)である学問の最高水準保持者の責任が一番重い。
2013/11/11 あとがき2追加 2013/1/1一部修正
参考文献
(1) John Maynard Keynes, "The General Theory of Employment, Interest and Money", 1997, GREAT MINDS SERIES, Prometheus Books. 邦訳 「雇用・利子および貨幣の一般理論」,塩野谷祐一,東洋経済新報社,2001.
(2) James C. W. Ahiakpor, "On the Mythology of the Keynesian Multiplier", http://www.geocities.com/ecocorner/intelarea/jmk7.html.
(3) Jochen Hartwig, "Trying to Make Sense of the Principle of Effective Demand", the seventh international post Keynesian workshop, 2002; URL, Trying to Make Sense of the Principle of Effective Demand.
経緯
● 平成7年10月の或る日、全部原価計算損益分岐点図の作成に関して、製造間接費配賦額に対してTaylor級数展開をするという着想が浮かんだ。
● 平成8年5月、特許願、「企業利益に対する作図表示法」を提出。公開日平成9年11月28日、特開平9−305677。審査請求後、拒絶査定(特許対象に当たらない。)。
● 筆者創始による全部原価計算損益分岐点図に関する論文を日本国の某会計学会に投稿後、何回もの書き直しと、批判と対抗論証と、長い長い審査経過の後で、平成12年10月6日、正式に掲載拒否の査定を受けた。査定の理由は、筆者の理論は正しいかもしれない(多分真実性を疑っている。)が、Solomons理論も正しい。いくら筆者と編集委員会とが論争してもきりがない。それは見解の相違であるという理由であった。
● 平成14年5月、特許願(本websiteの内容)、「全部原価計算・会計システム」を日本国特許庁へ提出。審査請求後、拒絶査定(特許対象に当たらない。)。この直前くらいから、日本でも、ビジネス特許の話題が広がる。
● 平成14年(2002年)12月、米国特許庁に、 "An Accounting System for Absorption Costing"出願。公開US2003/0216977 A1。現在、審査中。
● 平成15年12月本ウエブサイト公開。この1年くらい前から筆者会計理論を経済学に適用してみる。それまで誰も見たことがない国民経済計算損益分岐点図が現れた(平成16年1月)。
● 平成16年8月13日、ケインズ乗数効果理論に関し、ついにFig.4-6を見つけた。 正解の図Fig.3-13を発見して後、本節を書き出してから、7ケ月かかった。幸運にもここに到ったのは、第1に、正解の図であるFig.3-13を得たことと、第2に、管理総利益図理論の知識があったことであった。
● しかしながら、Fig.4-6の発見は無益であった。結局のところ、ケインズの誤りの源は、仮定Δ I2 = Δ NX2 = 0を設けたことにあった(平成16年12月21日)。
● ケインズ投資乗数理論には、数学的な誤りではないが、もっと根本的な欠陥があった。その欠陥とは、ケインジアンは、損益分岐点問題に対し、損益分岐点型図を使わないで、時系列型図を使ったことにあった(この記述内容は、古典派理論全てに関係しているようだ。企業経営における損益分岐点図の発見は、歴史的に見れば、つい最近のできごとであり、経済学におけるその重要性は未だ知られていなく、全く未開拓分野である。)。(平成17年1月20日)。今思うに、ケインズ翻訳原著におけるΔI2-Y1問題ではなく、他の本に載っていたΔG2-Y1問題に最初に出合ったのは、まことに運がよかったと思う。ケインズ原著から、乗数理論の誤りを見出すのは、ほとんど不可能のように思える(平成17年2月10日)。
● ケインズ原著図は、時間の経過に関係しないことを見つけた。さらに、失業問題を解決するために、政府が支出を追加しようとするその瞬間に、ケインズ原著図理論におけるMPC関係が破れる(平成17年2月24日)。MPCを定数として保つためには、ΔG2の供給に伴って、ΔI2 とΔNX2を同時に供給しなければならない(平成17年4月4日)。
● 乗数効果におけるテイラー級数展開(等比数列)論理の誤りを見つけた(平成17年9月1日)。
● 会計学、§3において、貸倒引当金処理の図形表示法ができあがった(平成18年4月)。参考文献(1)は大変助かった。キャッシュフロー概念の理解は、今後の経済学理論展開に必須である。
● ケインズ投資乗数公式誘導の誤りは、均衡理論手法の適用過程の中にあることを見出した。(平成18年9月)
● 或る財貨要素において、その意図される需要関数と実現される供給関数は、需要関数に実現された統計値を用いる限り、常に一致する。全ての財貨要素においてこの取り扱いがなされておれば、総需要関数と総供給関数との交点が均衡点となるという均衡理論手法は成立しない。(平成19年1月20日)。
● ソロモンズ理論の誤りを金額表示でやっと図形の中で示すことができた。全部原価計算損益分岐点図に対しての着想以来12年かかった。それにしても、ソロモンズ理論の誤りがケインズ投資乗数効果図の誤りに関わってくるであろう(ソロモンズ理論に関わっているときには、経済学については何も知らない。)とは夢にも思わなかった。ひょっとして、ソロモンズ理論の否定証明の経過無しには、ケインズ投資乗数効果理論の完全否定証明には至らない(将来も含めて)のかもしれない。(平成19年3月31日)。
● 時系列型の生産図(割合図)には、生産における利益極大化は成立しない(利益は、およそYに正比例)。45度線損益分岐点図型の生産図には、利益極大化は存在しない(図より自明)。(平成19年4月11日)。
● 損益分岐点型によって表現される国民生産解析には、均衡理論手法を適用することはできない。(平成19年4月16日)
●筆者創始による全部原価計算損益分岐点図を伴う会計システムが平成19年11月27日付けで、米国特許を取得。平成20年4月特許証受領。
http://www.google.com/patents/US7302409
● 平成20年9月、米国は、ファニメイとフレデイマックの国有化発表・・・経済大事件発生・・・・空前の失業発生・・・・財政出動。経済学の研究対象テーマからみた問題点は三つある。
(1) 国民経済計算勘定において、非金融資産量(ストック)から遊離した、経済的な不安定性を伴なわない金融負債(資産)の持続的拡大は、理論的に存在し得るのか。そういうことは、理論的にあり得ない(又は、あってはならない)のであれば、今回の金融資産価値の大下落は今回の直接原因によってではなくても、何時か再び、別の直接原因の形をとって、必然的に起きる。
(2) 一国の現在のGVA・GDP価値流れ行列(H行列)の形(外需(内需)中心型の国には外需(内需)型のH行列)が決まっている中で、新たな負債増の将来回収を保証する短期間での内需振興策(又は外需振興策)は本当に存在するのか。(平成20年12月20日)
(3) 金融商品取引や世の賭博と同質である金融保険取引の暴走を監視するためと、それらを実際経済の信用毀損と結びつかせないための実務に耐え得る金融理論を構築せねばならない。
● 世界各国で、国の資金投入による空前の景気対策が進行中である。当面の施策として、それはそれでよいし、景気の回復に効果がないというわけではない(公的資金投入分だけ確実にある。)。
しかしながら、ケインズ投資乗数効果式は単純な誤りの式であり、未来を保証する楽観的な効果は全くないということを知った上で、各国政府は施策を実行して欲しいし、学界とマスコミは処方策の是非を論じて欲しい。政府投入資金の将来の回収(=公債の償還)は、式の上からは理論的に何の保証もされていない。現在の政府投資策と将来の投資資金回収策は、例え不人気になろうとも、1セットで実施されなければならない。
景気回復の正確な時点と回収策を明示しないで、将来の何時かの景気の回復への期待を資金回収策としてはならない。何故なら、不明な時点に至るまでの投入資金に対する金利の圧迫で、景気回復以降の資金回収策と金融政策が無効になるからである。そのような事態を招くことは、学界とマスコミと政治の責任である。
この景気状況は、経済運行に対する銀行の疑心が消え、自己責任の下で信用創造する自信が持てる(未来の財貨運行の姿が恰も現実の財貨運行の姿のように確信して見える)ようになるまで続く。
その前に、借入金を元手とする金融賭博行為に一定の制限を設けなければならない。銀行創造資金(の援助を経由した金融資産)が賭博(未来のできごとへの賭け)に使われたら、信用システムが崩壊する(信用アノミーが発生する)のは当然である。(平成21年1月21日)
● 平成21年6月16日付けで、§1 標準原価計算を採用する企業における利益計画、及び7 月1日付けで、§2人間の英知作用と地球事象を解析するための生産理論を発表。平成21年8月に同上の論文に、6月17日付け、7 月2日付けで若干の修正を加えた。
● 平成21年7月11日、オーストラリアの生理学者であり経済学研究者であるBrian Chapman博士より突然e-mailを受けた。Chapman博士は前日に筆者のweb-siteを見つけたとのことであった。Chapman博士も長年ケインズ乗数効果式の誤りを研究しており、同じ週に学界発表する予定の論文を知らせてきた。その結論は筆者と同じく、ケインズ乗数効果式は誤りであるというものであった。
同氏の論文発表は、最近の金融危機発生の環境の中で、発表を許されたとのことである。発表後に経済学者達より活発な討議を受けたが、経済学者はこの論文を見ても半信半疑である。筆者(林)は今まで何故、経済学界が筆者(林)の数学論理を理解できないのか分らなかったが、今回、同氏から他の学者の質問の内容を聞いてやっとその理由が分った。近いうちに、今までの研究成果を集大成し、今なお学界に残る疑問点への回答と本稿提示以降に得た知見を加えて、一つの論文形式にして発表したい(平成21年8月1日)。
● 産業連関表解析手法(テキスト、歴史上の文献、及び国の解説資料による)を見ていて気づいた。産業連関表解析においては、ある産業部門の最終財貨に需要増がある場合に、それは他の多くの産業へ経済波及効果を及ぼし、その増大効果はついにはその最終財貨自身にまで及ぶ。その増大効果は級数的(レオンチェフ逆行列の級数展開)に延々と続く。それは、有効需要原理におけるケインズ投資乗数効果式に似た乗数効果のためである。これらの理論は世界の共通認識であると。
オリンピック効果、万博効果も同一手法(ケインズ投資乗数効果なども加味されている)で解析されていて、乗数効果概念に基づく経済効果解析手法は、経済効果問題に対する世界基準(もちろん、数学上の定式化を経て)となっている。そういうわけで、ケインズ、レオンチェフ以降の現代経済政策は、この概念を用いて実施されてきたのである。
そのため、世の中で乗数効果概念の否定を受け入れようとしないのも分るが、誤りの理論が世の中に正当理論として残る限り、世界各国政府の財政は借金地獄に進んでいくだろう。それを避けるために言葉によって乗数効果を否定するだけでは何も変わらない。経済政策を変えるには、既存の数学的経済解析手法(レオンチェフ産業連関表理論に含まれる乗数効果、ケインズ投資乗数効果理論)を数学的に否定証明するしかないないだろう。(平成21年10月1日)。
● レオンチェフ産業連関表理論において、価格方程式が誤りであることを概要の中で発表。生産方程式におけるレオンチェフ逆行列は、ベクトルと行列間のアフィン変換であることを指摘。アフィン変換式には価値の広がりと縮小の2変換が存在するので、結局、産業連関表の中のレオンチェフ逆行列変換は乗数効果を示すものではない。ましてや、賃金増による2次波及効果など存在しない(2010年4月再編集)。
● 平成23年4月、§2 国民経済計算におけるキャッシュフロー行列(CF行列)解析法の提案とレオンチェフ産業連関表解析法の考察(第1部)(PDF)を発表:
● 潰瘍性大腸炎(Ulcerative colitis:通称 UC),過敏性腸症候群(Irritable Bowel Syndrome:通称 IBS)の治療方法を発表 2011年(H23)10月10日発表
●本ウエブサイトを発表したのは、現時点(2012年1月)から8年以上前の2003年12月である。その間、リーマンショックなどを経て、日本国の国債問題はさらに悪化し、欧州ではギリシャ、スペイン、イタリアなどの国債問題から発するユーロ金融危機が世界経済全体に悪影響を与えつつある。危機的な経済現象が次々と現れてくる中で、筆者が経済学研究を進めるにつれて、次のような課題が見えてきた。以下において、「数学的に」とは、経済現象に対して、会計学に基づいた論理的枠組みの中で数学的にという意味である
(1) 日本国の国債増大と欧州共同体(EU)の債務危機の発生原因は多少違っているが、本質的には、政府の借入金に基づく政府投資(政府消費でもよい)と一国の経済成長、同じことであるが悪化した経済の回復との関係が経済学において、数学的にはっきりと分かっていないからである。筆者には、この状況が貿易の伸張と大きく関わっているような気がする。全ての国が得意な産業に特化して貿易に励めばどの国も得をするという。今まではそうだった例が多かったかもしれないが、これからも本当にそうなのだろうか?
注: 貿易理論におけるリカードの比較優位理論は、その理論を相手に唱える瞬間時点では論理的に正しい。但し、その場合は、地域特性の影響を受ける生産物を対象とし、国民が働く場を変えることができない前提がある。このことは、階級や職業が固定されている国内で、社会において、それぞれの階級に所属する人達全員がそれぞれの職業場を見つけて、生きていくことができることを説明する。
でも、そのような社会においては、個人能力の差に比例しない所得格差がある。自分はそれに不満があるという場合には、一生懸命努力すれば自分が生きている内に、それがだめであっても息子、娘の時代に、自分の職業は相手の職業と入れ替わり、相手にリカードの比較優位理論を唱えることができる。但し、その場合には、教育(努力)ができる場の提供と職業選択の自由(働く場所を変える自由)が必要である。工業製品の製造競争の場において、その競争対象財貨が地域格差が影響しない全くの同一性能要求製品である場合は、例え賃金格差があまり無い場合においても、後者の例に当てはまる。
ついでながら、中国は、都市住民と地方農村住民との間で居住権差別が存在するので(共産党員と非共産党員、国営企業と民間企業、公民員と非公務員との間でも差別があるように聞いているが、その実情は筆者には分からない)、1国の中で典型的にリカードの比較優位理論が成立している社会である。>
(2) さらに言えば、政府の累積債務の増加は、結局最終的にはその国に対してどのような経済現象をもたらすのかという理論は少なくとも日本国にはない。もしこのまま国内民間投資が国内で進まない中で、外国への資金供給又は政府債務の増大が進んでいったら、ますます国内のみならず世界的にも失業が増えてゆき、財政が危険な状態になるだけではないのか?
それにしても、世界全体では年々輸出と輸入が増えているのに、失業率が世界中で増え続けているのはおかしな話だ。貿易増大(仮に輸出=輸入を保ちながらでも)とGDPの伸び(横ばいでも)と非自発的失業の増大との間には、貿易理論において未だ見つかっていない何かの関係式があるのではないか?先進国でも発展国でも、人口の増減に関わらず失業が増えているようであるから、失業の原因は他にもあるのかもしれない。
実際、銀行と政府関係機関で国債発行をまかないきれないという事態に到ったとき、日本はどうするつもりなのか?日本国政府は、過去に、(1)最大債務限度額を考えもせず(多分当初は念頭に無かったと思われる)、(2)債務資金の回収そのものを考えず、(3)政府債務信用の拠りどころを家計金融資産(あるいは対外資産などを含めて)>政府債務などとして、債務を増やしてきた。この部分に関しては、政府の銀行預金資産に関する利子のやりとりの間で、金融機関(中央銀行を含む)と政府の間に奇妙な静けさがある。経済成長はとまっているのに(あるいはデフレなのに、失業が増えているのに)、利子の受取額〜支払額(両者に痛みがない)だけが大きくふくらみつつある(又は、可能性がある)。この帰結はどうなるのか?
筆者は、政府債務で実施した財貨価値はほとんど失われつつあると考えている。福祉予算累積赤字は、既に消費となって生産価値のほとんど全てが既に消滅している。人間が生産した固定資本財は、資本財の減耗とともには何時かは無価値になる(構造物関係は多分人間より短命である)ものであり、旧資本財を改修復元するのは、新設よりも費用が掛かる。資本財は使用されて始めて価値があるものなのに、使用されずに放置されるものが出てくる。その中で、政府の所有物ではない他セクターの資産を使って、税収以外の方法で旧債務を具体的にどうやって返済できるのか?貯蓄増加している民間産業が家計に代わって本当に政府債権を肩代わりしていくのか?特定できる個々の家計は国債をほとんど所有していない。国の債務は家計金融資産(個人業種を含む)よりまだ小さいなどという理屈付けは、政府財政の破綻をきたさない旧債務返済の具体的な実行手段を提案しなければ、経済理論としては無責任なのではないか?現実の事態が起きたときには、想定外という用語を使うのだろうか。
筆者は、バブルショックの後の宮沢内閣、小渕内閣、橋本内閣のときの学者、マスコミ、国民の反応を知っている。その中には、国民には血の出る対策もあったのであるが、その対策は今もって国民からは嘲けられている。もちろん、そのときには、筆者も嘲ける側の方にいた(それよりも経済学について何も知らなかった)と思うが。
これら失業現象の原因の一つとして、(1)債権額=債務額の発生限度額を事実上無視して全世界がGDPの増大に励んでいることがあるのではないだろうか?さらに、(2)まだ想像であるが、貿易により各国の国内で無制限に非定常流循環が大きくなると(具体的には韓国など)、相対的に定常循環流が小さくなる。世界のどこかで、小さなあるいは大きな紛争(経済上ではない政治的感情問題などで)が起きると、国内の経済構造が固まっているので、その余波で失業が起き、それをすぐには回復できない(経済構造を変えるには10〜20年掛かる)事態が各国でこれから多発するであろうと考える。
(3)従来の経済学とは、少なくとも少し前までは(今でも)ケインズによる乗数効果理論の存在を許してきた経済学である。それが誤りであるとすれば、どのよう数学的経済原理が一国の経済原理を支配しているのか?
(4)オリンピックなどの大きなイベントがある度に、このイベントの経済効果は〇〇〇であるとの発表がなされる。経済効果とは、いったいどのような数学的現象を意味しているのか、その効果をどのように測定しているのか、その結果としてその効果は本当に実現しているのか?
(5)一国における税率の大小、従って税額の大小はその国の経済成長に関係するのか(Laffer理論)?
(6)筆者の研究によれば、レオンチェフの産業連関表理論には大きな欠陥がある。その結果は、今までの経済学上の定説や経済政策、経済分析に影響を与えないのか?何も影響を与えないとすれば、レオンチェフ学説は経済学的に何の意味も無かったということになる。
(7)経済費用の中に、売上高に比例する変動費的費用と比例しない固定的費用とが存在し(これは企業会計上、それ以上に全ての生物活動に必ず存在する)、且つ固定的費用とは売上高には比例しないが人間(企業や為政者)の意志に関係する変数である、さらに、生産においてΔπ=0の条件は存在しないとするとき、ワルラス流の一般均衡理論は数学的に成立しない。そして、ケインズ乗数効果のような誤った理論解析結果を与える(必ずしも「一般均衡解析」の故とは言えないが)。しかしながら、均衡理論は存在しないとするとき、経済解析手段の提供は難しくなる。如何にすべきか?
(8)筆者は、現在、一般経済の中でのキャッシュフロー解析を研究中であるが、キャッシュフロー解析の要である銀行の経済活動価値を全制度部門との整合を図る(GDPとGVAとの連結)中で表現すること(結局、帰属利子問題の解決)が大変難しい。さらに、実際経済の中で金融資産の毀損は必然であるとするとき、その必然性を理論の中で如何に説明すべきか?そして如何に対策すべきか?多分この問題の対応策は、一国の憲法か、国際協定(安全保障会議のようなもの)の中にまで反映させなければ、少なくとも民主主義に基づく選挙制度の下におけるどの国においても、これから何度でも金融危機(個人名に帰属しない家計貯蓄が或るときいっせいに消えて無くなる、国債の所有機関が倒産する、国家予算執行がある時停止する)が起きるだろう。要するに敗戦時と同じであるが、国内の生産施設は全て残っている(そうであることを期待しているが)、海外資産は全て残っていることが違う。別に日本国が滅びるわけではない。そこから又新しい日本国の勃興が始まるのである。そのときには、財政制度を根本(政府の存在意義の考察と財政の範囲の限定)から変え、それを憲法の中に明示しなければならない。
(9)これから、世界各国で平均寿命が伸び、労働人口と比較して、非労働人口が増えていく。その中で、どの国においても、今までには生じることのなかった年金積立額、医療保険金額が増えていく現象が起きる。非労働人口が過去の労働時代にまかない切れなかった現消費支出を現労働世代が消費財として生産しなければならない(輸入財を含もうと含まなかろうと)。この不都合は誰でも分かることだが、この経済循環の中で、全く経済成長の無い国においても、キャッシュフロー自体は増加しなければならない。労働人口と非労働人口の不釣合いの中で、キャッシュフロー自体は膨らまなければならないとするとき、Money量に対して、収穫逓減の法則が起きないのだろうか?即ち、一定労働人口の中で、Money(信用)量が増えても、それがある限度以上を越すと、Money(信用)による収穫(利子所得=貸借財産所得)は減り、資本財投資は企業の利益を減らし、信用毀損が増える。
(10)人間の長寿化のスピードに経済学と政治、マスコミが追いついていっていない。それ故、国民に、このことに伴って起きる諸問題を理解させることは困難である。日本人は、選挙の度にひどく痛い思いをすることから逃げている。でもこれも無理もないことである。世界中の誰もがこの長寿化のスピードを経験していないのだから。人間は、自分自身がひどく痛い思いをしなければ、この問題は解決しないのかもしれない。生物が進化するには、環境の変化(このままでは子孫を残せないほどの生命(あるいは生活,life)の危険を感じる)が先にくる。
2012年(H24)1月18日、2013年11月5日,この●印項目内で多少の追加と修正
● 平成24年(2012)9月20日、§9 経済学のためのキャッシュフロー計算書の新しい作成方法を発表
● 平成25年3月25日、第2章 レオンチェフ産業連関表解析法に代わる新しいキャッシュフロー行列解析法の提案に、CF行列解析の進行状況を追加
● 特許申請明細書「会計方法及び会計システム」、平成25年3月7日公開、
http://www.google.com/patents/WO2013031005A1?cl=en
米国特許証受領 2014年3月
●平成26年11月24日、日本公認会計士協会東北会、研修会において、米国特許における研究内容の発表。
(1)その際、「4桁式空白記号法」と命名して新しい信用フロー解析法を発表。同法によれば、キャッシュフロー解析法における間接法と直接法は統一されて、統一法、又は併用法とでもいうべき1法になる。この解法は、或るセクター部門の外部取引と内部取引を1勘定で表現できるので、経済理論解析へ適用する基本式となる。
(2)さらに標準原価計算における製造間接費配賦額の役割に関係して、PL、δBS勘定の中に、従来知られていない制約条件式が存在していることを発表。その制約条件式とは、製造間接費配賦額は、それが棚卸資産扱いされることによって当期営業利益が影響を受けるという従来の知見とは別の現象として存在するものである。
その現象とは、同一売り上げの下での同一売上原価の場合において、製造直接費と製造間接費配賦額の関わりから、売上営業利益が変化するのである。この式は、GDPの増大が止まった場合や過剰生産設備が存在する場合などの経済現象の解析に適用できる。なお、その理論は、研修会資料中では未完成資料(進行基準のみ)であったが、現在の正月中に一般化理論(完成基準に拡張)としてほぼ完成した。平成27年1月2日。